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やりたい。
とすれば、自然な流れとしては、やる方向で動き出す。
直感的にアイデアが浮かぶ、
そこから考え検証しながら、実際の行動につながる。
やりたいと思ってから実行まで最短距離になる。

ただ、ヘタな考えで
やりたいという本気に「通行止め」をかける時があった。
迂回迂回の大回りになり、やりたい気持ちも削がれ
疲労困憊。挙句、間に合わないという悔しい結果を見る。

前者の場合、後悔はないが、後を引くような達成感もない。
その時は、やった、できた、良かったなどの気持ちは起こる。
が、すべて昇華されてしまい、本当にキレイさっぱり。

後者は全くその逆で、いつまでも、何年経っても思い出す。
「あの時、やりたいって思っていたのに」

考えあってそうしたが、それがヘタな考えだったのは、
その時の状況の把握が、適切でなかった。
ただ自分の考えに頑なになり、躍起になり、
やりたいという本気の力を封じた。
ゆえに全ての感覚スイッチは電源オフに、、、。

つづく







イギリスでのイベントを終えた洋子さんから電話をもらった。
仕事と長旅の疲れのまったくない、
イキイキとした洋子さんの声に
終始笑い通しの電話になった。

洋子さんとは、
タマラアソシエーションのインストラクター、
林洋子さん。
アロマでもインストラクターとして、
お住まいのある愛媛のほか各地で活躍している。

私は、洋子さんをもっともっと多くの人に
知ってもらいたいと思っている。
なぜなら、
これは以前にもどこかに書いたかもしれないが
私は、洋子さんのアロマへの思いや生活への取り入れ方に
共感しているから。

アロマのことを聞くと、
「母」のように、「姉」のように教えてくれる。
また、教えてくれる内容も、
専門知識と生活実感がぴったり寄り添っていて
何より「自然」なのだ。

私の中に、
彼女をプロデュースしたい
という気持ちが起こったのは
とても自然なことで、何の違和感もなく、
昨年まずは、
毎月開催しているタマラの交流会のスペシャル企画として
『洋子さんのアロマ時間』を開催した。

アロマを和室で、という
なかなかないセッティングになったが(^^)
まず一歩踏み出した、そんな思いだった。

そして、その後も彼女はアロマで自分の可能性を追求していて
いろんな「楽しいこと」を生み出している。
「それは、ぜひ東京で!」
「それも、ぜひ東京で!」
何度リクエストしたことだろう。

それが、この日曜日、
叶うことになった。

「洋子さんのアロマ時間」

今回は・・・
「ヴィーナスオイルづくり」をすることに決定!

以下はご案内です。
もし、このブログを見て、行きたいと思われたら
reikosato@docomo.ne.jp までお申込みください。

○お名前 ○連絡先メールアドレス をお忘れなく。

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「洋子さんのアロマ時間」 今回はビーナスオイルづくり
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5月20日(日) 
スケジュール:午後1時半〜3時(オイルづくり)
       その後5時まで交流会
会    場:葛飾区内 佐藤までお尋ねください。
参 加 費 :オイルづくりは実費になります(3,000円〜)
       交流会は500円 ※お飲物はご持参ください。持ち寄り大歓迎。
定    員:10名まで 

イギリスでは、
タマラのインストラクターお二人の経営されている
The Aromatherapy Company の精油を
たくさん購入されたとのことです!
今回のイギリスでのイベント出展のこと、
そこでの出来事なども
交流会でたっぷりお話しいただきたいと思っています。

お申込み・お問合せ reikosato@docomo.ne.jp 佐藤まで




その昔、そこに私もいたのです。photo by Reiko.S





あれもこれも気になり優先順位がつけられなくなって
結果、立ち往生してしまう自分。
ここでよし、としてしまう自分。

「本当は、こんなんじゃない!」

自分の中で叫んでいたのが、一昨日、本当に声に出た。

自分を活かしたい。
「私」なんだから「私」をもっと高めたい。
そして、まっしぐらに走る自分に変わりたい。

数ヶ月前から、気になっていたワード「一所懸命」。
そう、私は「一所懸命」に 自分を 生きていきたい。

状況が限界に来た昨日、朝一番で読んだ「あかね雲」が、
新しいエネルギーワークについて、だった。

「絶対受けたい!」

そして、それが叶った。

エネルギーワークについては、
タマラさんの「あかね雲」を読んでください。
2012年5月8日、9日の記事です。

やりたいことが、あらためてはっきりした。
それはやりたかったことであり、やり続けたいことである。

私は 自分を 活かす。

自分のやりたいことも、そのための力も全部自分の中にある。

それを、活かしたくって、出し切りたくって、
そして、そのためにも、
びびる自分のためにいろんなことをはっきり見定めたくて
自分をサポートするエネルギーを
(それと意識せずとも)求めていた。
それが、「タマラ」だったんだ。
確信!

人間としては今もって凸凹。

でも、自分のために、自分を活かしたくて、
自分に合う必要なものを掴んできた。
見回せば、それぞれの個性を持った特性を持った特質をもった
何より、心を持った人がいる。


昨日という日は、本当に意味ある一日だった。

今日という日、また一所懸命に意味ある一日にする。




妹夫婦が姪を連れて遊びに来ていた。
姪と一緒にいる時間は、私たち家族にとって
とても楽しく新鮮な時間だった。

朝、仕事をしていると後ろに気配を感じる。
振り向くと、パジャマ姿で親指を吸っている姪が立っている。
入ってはいけないというのをどこかで察知しているのか
廊下のところからこちらを見ている。

一才半、ようやく片言が出て来たところ。
こちらの言うことにも
わかるときは反応する、わからないときはじっと見ている。

いつも午前中は外で遊んでいるという姪は
とにかく外に行きたがる。
廊下で立って見ているのは、私なら抱っこしてドアの外に
連れて行ってくれると知っているからだ。

どれどれとベランダに連れて行く。
雨の中、鳥が鳴いている。
「鳥ないてるね」「・・・トリ」
「そう、鳥ないてるね」「・・・トリ」
しばらくすると、サンダルを履きたがる。
大きなサンダルを履き、ベランダの植木鉢に手を突っ込み
ひっくりかえし、底石を1つ、1つ、掴んで移動させる。
それを私にくれる。「くれるの? ありがとう」
くれるが、じーっと見るので、返すと、そそくさと受け取って
また床に転がし、また拾って私にくれる。
「くれるの? ありがとう」

そんなやりとりを何度も繰り返す。
そして、しばらくすると一人遊びを始めたので
そばで様子を見ていた。

やわらかい股関節。
四股を踏むかのように、おむつの大きなおしりでしゃがみこんで
つまんでは置き、置いてはつまみ・・・。

それをただただコツコツと繰り返している姪を見ているうちに
1つのことが、私の中ではっきりしてきた。

「無邪気さって、永遠だわ」

姪は、この時間を経て大きくなり、大人になり、
いつか年老いておばあちゃんになる。
でも、姪は姪なんだ。
いくつになっても、姪は姪。
もっちもちの赤ちゃん肌が、しわしわになる時が来ても、
姪は姪。

いろんな経験をして成長していくから、
いつまでも底石をつまんでいる姪ではない。
けれども、大きくなったら、別の個体になるのではないんだ。

「無邪気」を核に、生きて、経験を年輪のように重ねて行く。


笑い、泣き、寝て、食べて、
歩いて、しゃべって、帰っていった姪。

「今、なにしてるかな」「もう寝たかな」

静かになった我が家で、息子と私はそんな話ばかり。。。

















タマラアソシエーションのメールマガジン
「本当の自分を見つける方法」の火曜日を担当している私は、
先日、「トイレのサイン」(4月24日配信)というタイトルで、
体からのサインも直感のひとつ、という自分の経験を書いた。

トイレのサインを我慢したり、まあいいわと見逃すと、
大慌てな珍事を引き起こす。

今日もやってしまった。
(トイレ)と思ったが、まだ大丈夫とリビングへ。
(行っといたほうがいいんじゃない?)
というささやきが聞こえたにもかかわらず。

リビングに戻った私の目に、
息子の水やらおむすびやら試合後のワンセットが
テーブルの上にあるのが飛び込んできた。

「うそっ。お父さん行ける?」 

夫はパジャマ。・・・だめだ、私が行くしかない。
弁当と水筒を紙袋に突っ込んで、着の身着のまま、
出掛けて行った息子を追いかけた。

エレベーターに乗った私は、ものすごくまずい予感。
「・・・トイレ、行きたい。でも、もう戻れない、戻ったら間に合わない」

ああ、本当に「行っておけばよかった」、まさにあの時に!

数分後に、自分が息子を追いかけ
雨の中自転車を飛ばさなければならなくなるなんて、
予定になかった。
予定にはなかったが、予感はあったんだ・・・確実に。
(行っといたほうがいいんじゃない?) 
あれはまさしくそうだった。

改札で息子に一式渡し、
「とにかく頑張ってらっしゃい!じゃあね!!!!!」
と、私は駅のトイレに駆け込んだ。

何とか間に合い、
そこから、ここまでのことを省みた。

そういえば・・・
息子を玄関に送った時、
「気を付けて」
「十分に気を付けて」
「雨だから気を付けて」と、
いつになく「気を付けて」を繰り返したっけ。

そういえば・・・
いつもなら、ちゃらっと鍵をぽっけに入れる息子が、
わざわざリュックのチャックのところに入れると言うので、
入れてやったんだっけ。

そういえば・・・
いつも準備は万全の息子が、
シューズがどうたらこうたらといって、
靴を履きかえたりしてたなあ。

つまり、今日に限って、玄関で時間とっていたのと、「し直し」が多かった。ここで、なんか変だぞって気が付いたら、よかったんだな。

そういえば・・・
私自身、いつも何か忘れ物があるときは、
玄関で鍵が見つからくなったりしてた。


【玄関でスムーズに出られない時は、忘れ物がないかもう一度確かめる】
【そのためにも、「5分前行動」を、自分の新しい習慣にする】



「すべてに意味がある」、そうつくづく感じた。
今回のことで、気づかなければならないとき、
少し出来事がスローに感じられることも感覚として残った。

大事なのはそのあと。
直感を受けとって、その意味にもピン!とくる
思考回路を持たなければならない。

ここで絶対にしてはならないのは
「否定」と「思い込み」

日々訓練だと、つくづく思う。

自分で鍛える、まず自分。これ以外ない。
















土曜日には東京で初めて
「トラストハートディスカッションセミナー」
を開催しました。
受講くださった皆さん、ありがとうございました。

セミナーを開催するようになって
「目的意識」の大事さを痛感します。

私自身、
過去にセミナーやワークショップなどに参加してきましたが
「参加することで達成感」という場合が多かったかも…
と反省しています。
出たから何か変わるだろう、
何か知恵がついただろう、、、というような。

自分がセミナーの主催側になって
たくさんの受講者の方々と接するなかで
1回目より2回目、
いやその時間の中でも、あら!と思うくらい
表情がイキイキ変わっていく人がいます。

話をすると、
「今やってることをもっとなんとかしたくて」
「これからこういうことを始めるのでどうしても」
そんな感じで、「自分のためになることを掴んで帰る!」
そういう心意気で臨んでいる方であることが多い
ということに気づきました。

こういう人たちに出会うと
「私もあのとき…」とちょっと悔しくなります。

しかし、そうでなくても、輝いていく人がいます。
最初は友達に「ついてきた」的な人でも
最後、連れて来た人以上に
「面白かった!また受けたい」と言っていい顔で帰られる人。

目的意識ゼロからでも変わっていく人は
講師の言葉に、ペアを組んだ人とのやりとりの中に、
誰かの表情、誰かとの会話の中に、
何か「!」という、きっかけを直感的に受け取って、
自然に自分の「ポジティブ発動!」に
スイッチしていきます。


もっと考えると
「その場にいる」そのことが、
もうチャンスを掴んでいる! ラッキー!
どれもこれも、チャンスなんじゃないかな。

目的が明確なら、そのチャンスから、
フルに「得するエキス」を吸収することができる。

自分が好き、好きなところがちょこっとでもある。
大事な自分には「得」させたい。得したい。得が好き!

そのことが、自分の内外にある無限の情報の中から
今、必要な情報をキャッチする「力」になる。

今、ここにいる。
今、これをやる。

まさにこれは、チャンス到来!なのではないでしょうか。

「今」
この中にある、
自分のために、自分が本当に「得」するように
直感的に感じること、感覚を逃さずキャッチしたいですね!


鹿児島での
アクセスハートコミュニケーションセミナーでは
「核心を突く」ということが、
明確な目標になっていた。

参加者が奇数の人数だったため、
スタッフの私も中に加わらせてもらい
一日セミナーを皆さんと共に受け、
トレーニングに取り組んだ。

アクセスを受ける事で、自分はどうなりたいのか。
そこを明確にして取り組んだ結果、
ひとつの感覚=手応えを得る事ができた。

ひとつのビジョンを掴んだ時、
「意味が分からない」という時がある。

今までは、
そこから考えを進めていく事ができなかった。
ビジョンどまり。
何を意味するのか、何を象徴しているのか
さっぱり展開も、解剖もできていかない。
できたと思っても、それこそ「1」でも書いたように
見当違いだったことの方が断然多かった。

しかし、今回は考えを展開する、
視点を変えていける感覚=手応えがあった。

それは、あくまでもこれは私の感覚としてだが
掌がふるいになったような感じで、
ふるいを振っていると、
本当に必要なことが掌に最後に残る。
そんな感じだった。

面白い。
何より、すっきりして穏やかで揺るぎなかった。

この感覚をもっと研ぎすませていきたいと思っている。

セミナーを受ける方には、
「なんのためにセミナーを受けるのか」
その自分の動機を、シンプルに端的にしておくことを
お勧めしたい。

自分にわかる、自分の「これ!」という動機を持っていれば
今までよりも手応えが増すと思う。

この週末は、
トラストハートディスカッションセミナー。
受講される皆さんに、
それぞれの「手応え」を感じてもらいたい。




いつも謎だったことがある。

それは
自分の思いと
タマラさんからリーディングで言われることが
いつも「真逆」ぐらいの開きをもって違うこと。

例えば、「誘導瞑想」の時に
私は、分度器やコンパスをビジョンで受け取った。
そのビジョンを、私は、何かを「設計する」ことだと解釈したのだが
タマラさんのリーディングでは「計画する」だった。

最初は、「計画? なんでコンパスで計画なの?」と疑問だったが
それから日々を過ごす中で、いろんなことを感じていく中で
「やっぱりあれは計画のサインだった」と腑に落ちた。

他にも、
「嫌い」と思っていることが、
タマラさんのリーディングで「あなた本当に大好きなのね!」
と言われたり
自分では堂々と落ち着いていると思っているが
「びびりよね」と言われ、かちーん!と来たり。

でも、それからしばらくして、気づくのだ
「その通りだ」と。

本当は好き、でもいろいろあって「嫌い」だ。
というのと
「本当」というところそっちのけで、
ただ「嫌い」というのとでは
「嫌い」の質がまったく違う。

「自分のことを、自分でわかるようになりたい」

何をどうすれば、どこをどう磨けば、
自分で自分の「答え」をいつも掴めるようになるだろう。
いろんな事情や、いろんな感情で
本質に迫れないようにしてしまうのも、人なんだと思う。

でも、その時は困難でも、理解し難くても
自分の「本当」を知ることこそが、
その後に晴れ晴れとした気持ちをもたらす。
本当に堂々とした自分になれる。

だから、核心を突きたい。

それが私の課題になった。

あいにくの雨になりましたが、鹿児島での1日目は、こちらのアドバンストやメンバーのみなさん、初めての方々と共に、タマラさんを囲んでにぎやかな交流会となりました。
タマラのエネルギーを使う=一所懸命に生きること。どんなときも自分次第。
そしてその「自分」は
自分が生きていく、誰かの役に立ちたいと生きるための能力と可能性をさまざま持っている。
そのことをそれぞれに感じられる交流会だったと思います。
今日はアクセスハートコミュニケーションセミナー。直感への関心も高まった皆さんとのセミナー、熱気に満ちた時間になりそうです!

トイレ掃除をして、さてさて新しい便座カバー
(商品入れ替えで、安く購入できた!)
に取り換えようとしたところ。。。

毎日使っているトイレの便座の形を間違え
「うそ。。。」

毎日使っているのに、認識できていない。

ごめんよ、マイファミリー。
しばらく「ひや!」っとする便座で我慢してください。

とそのとき、この便座カバーを買った時のことがよみがえってきた。

「この商品は衛生商品のため、交換はできません」

はっきりと文字が浮かんでいる。そう、その時、私はその表示を見て
「そりゃそうだよな」と思っていた。

しかし、そこどまりだった。

取り換えが出来ない⇒この商品は返品できない⇒便座には2タイプある
そして、もう一度、自分が今手にしている商品を「確認」する。

あれは、まさにそのチャンス到来!だった。

なぜ確認しなかったんだろう。そこを考えた。

確認しない=思い込んでいる。
それはあった。でも今一度と思うこともできたはず。
なぜ今一度、という発想ができなかったか。

安く買えた~私って直感さえてる~!と、思い嬉々としていた。
これは、本当。

しかし、間違ったものを買っては、「意味がない」のだ。

あの表示を見た時。

「大丈夫、大丈夫」・・・・・・・・・・過信
「自分は間違っていない」 ・・・頑固、傲慢
「確認するの、めんどくさい」・・・いい加減

これにより、直感で受け取った情報をスルーしてしまった結果が
「使えないものが残り、お金を失う」という結果になった。

トイレ掃除から始まったこの結末は
「臭いモノには蓋をしときたかった」、自分の性分に行きついた。

・・・こういうところがある、これが私なんだ。


じゃあ、今度こういう場面ではどうするか。


最悪なケースは、再び同じことをすることだ。
物は使えず、お金は消えるなんていう、損はこりごり。

最善の方法は
「鮮烈な直感は、必ず確認する」

基本的に流れに乗っているときの直感は、
直感を直感とも意識せず体が動く。

しかし、今回もそうだったが、
そのままだとまずいよ、というシグナルは、
情報としてけっこう「はっきり」している。
そして、のちのちまで鮮明な記憶となって残っている。


過信しやすく、頑固で、いい加減なところのある私には
回避すべき時、「はっきり」わかりやすい情報で、
直感は私に知らせている。

いや、直感は私の中にあるのだから、
これは「私が私に知らせている」のだ。

そこに行きついて、自分への
「ごめんね」
「ありがとう」
満杯な気持ちになっている。


直感をしっかり掴もう、そして活かそう。
なによりも、自分のために。









真剣な時を覚えておこう
真剣な時の自分の感覚を覚えておこう
静かに落ち着いた
あの真剣な時を、忘れないようにしよう


タマラと出会ってからの日々で得たものは
「はっきりする」ということ。
良い、悪いを超越した「明瞭さ」。
それが、私にとってのタマラだ。

人生のサポートとなるエナジーと出会って、
そのことを実感しているということは
それを私が一番に望んでいるのだと、今思う。

私が、タマラと出会ってから、何が一番の発見だったか。
それは、びっくりするほど
「頭で生きている」ということだった。

私は自分の心を大切に、思いのままに生きている。
という想定の、頭で作り上げた人生を生きていた。

この仕組み、わかるだろうか。
はっきり言って「ややこしい」。

ややこしいがシンプルにいうならば、
思いのままに生きるということは、
こうすることだ、ああすることだ、こうすべきだ、ああすべきだ
という「あるべき論」で、
予め頭で用意していたということ。

このややこしさ故に、私の心は、思いは
「明瞭さ」を求め、「はっきりすること」を望み、
人間的に、私的に「良いこと、悪いこと」
すべからく明るみになっていった。

そして、本当に水滴が石を穿っていくように、
「自分の思い」「心」を軸にする
自分の望む生き方へと
パラダイムシフトしてきた年月だったように思う。

頭で生きることは、癖にもなっている。
やはり今でも知らずそうなりかける。
しかし、
何かこうしっくりこない、なんだかうまく行かない。
そんな匂いともいうべき、
気配ともいうべきサイン=直感に気づけるようになってきた。

振り返って思うに
思いに基づかずに頭で考えていた間は、
コラージュだった。

あっちのいいと思うものと、
こっちのいいと思うものとを切り貼りして
「私」をイメージしていっていた。
それを「私の思いを知る手がかり」
としている間は良かったが
それをそのまま「=私」としたところから、
自分を見失ったように思う。

タマラと出会い、
自分の心にアクセスし直し始めてから、
「自分の絵を描き始めた」
この表現が一番しっくりする。



伊豆高原にある「ロロシトア」という
オーガニック、フェアトレードショップ&カフェで
ネパール在住の
パスカルさんの写真&アリスさんの絵の個展が開かれました。
町田での展覧会には行けなかったので、
今回はとても楽しみだった。

パスカルさんと話をする中で
どのようにしてこのような写真が撮れるようになったのか
と質問した。
それに対して彼は、写真を勉強したことはないと言い
experience(経験)によるものだと話してくれた。
そして、それはアリスさんも同じだといった。

撮りたい、描きたい。

自分の felling(直感的に抱く感情、気分、感じ) 
に忠実であること。
そして行動することが表現となる。

考えや計画や想定が先攻しているのではないということを
彼は何度となく言葉にし、私たちに伝えた。

その話しを聞きながら、思い出したことがある。

NHKBSの『旅のチカラ』という番組が好きなのだが
料理家の栗原はるみさんが登場した時の
旅先となったイギリスの一つ星レストラン
「ゴティエ・ソーホー」の
シェフたちの様子、そして言葉。

誰もが一定の味のものを作れるように
すべてを「量って来た」栗原さん。
しかし、そのレストランのシェフたちは、
基本いっさいメジャーを使わない。
自分の舌で確かめオーケーを出す。
食材選びも同じ。
市場に行き、自分の目で、自分の嗅覚で食材を感じ、
そこからのインスピレーション、
イマジネーションで料理を創造する。

面白いと思うことを、やってみたいという衝動を、
素直に行動に移す。
良い感じがしたら、それをもとにイメージをし、
やってみる。

メジャーがないから、ではない。
味は自分の舌を信じればいい。
自分の感覚を、感性を、
自分自身の喜びの感覚を、好奇心を信じる。
何もなくても、
今こうして感じていることから始められることを
信じている。

舌があるじゃないか。
目があるじゃないか。
鼻が利くじゃないか。

「何も恐れることはない」

私にはそう聞こえた。
そのことを、パスカルさんと話してい思い出していた。









小学校の入学式、ちょっと肌寒かったですが、空は春色。



木々からは伸びる新芽。「さあ、おいで」と雲と空。



ユキヤナギの中に、桜をみつける。バラ科どうし仲良く同居。
ユキヤナギの中から、するするするっと伸びて、花一輪。