久しぶりに患者になる。

気になりつつもそのままにしていた不養生のつけがまわり
動物はじっとして休むの言葉を思い出し、しばらくじっとしていたが
しかし、このままでは埒があかないと、思い切って病院へ。

お医者様と話しをするというのは、不思議なもの。
うんうん、と聞いてもらうだけで、ずいぶん気持ちが楽になる。
「これは痛かったね」「これは心配だったでしょう」などといわれると
言葉の温泉状態とでもいいましょうか。。。
「あ〜〜〜〜〜わかってくれますか、そうなんです」と、不安という名の肩の荷がおりて
「じゃあ、先生。早く治りたいので、どうしたらいいですか?」という気持ちになる。
かかりつけのお医者様は、そういう意味で、共感と説法(?)のバランスのよい先生で
落ち着いて話しができる。

病院のはしご、ではないが、眼科にも足を伸ばした。
普段は眼鏡をしているが、時にコンタクトが必要な時があり、
目のチェックもしてもらって…と思い向かった。
こちらはちょっと落ち着かない先生だった。
ブレーキとアクセルの加減がわからないというのか、かみあわないというのか。。。
「かけてください」といわれたが、イスが2つある。
「こちらでいいですか?」というと
「ちょっと待って落ち着いて」と言われる。
ふーふー言って何か机の上をかきまわしている先生。
(私は落ち着いていますが、先生がお忙しいのでは?)と思いつつ、自分の目が据わるのを感じる。

診察は丁寧だったので、この先生にはこの先生のペースというか、リズムがあるんだろうと思った。
結果、重度のドライアイと判明。目薬で経過観察となる。
瞬きした瞬間から、先生曰く「さ〜っと涙が乾いていく」のだという。
普段から何か症状を感じてませんか?と聞かれたが、何も感じていない。
「だとしたら、重症かもしれないな…」
この「だとしたら、重症」は、頭に残る。

おそらく、急性ドライアイ(なんてのがあるのかどうかしらないが)だったら
急患で駆け込むだろうが、日々の生活習慣の積み重ねで、「現在に至る」なのだと思う。
それと…普段「目」を意識していないことにも気づかされる。
見えて当たり前、起きたら目が開いて、見えるのが当たり前。
見えることには注意が行くが、「見ている目」の状態には意識が向いていなかったなあ…と思う。

おもえば…札幌でホテルに戻ると毎晩目がしみて涙が出た。
ホテルは結構乾燥している。それとドライアイを考えれば…納得がいく。

久しぶりに「患者」になって、
ベテランと若手の違いや、アクセスハートの重要性や、
外に向かう意識と自分に向ける意識のことなど、いろんなことを考える時間になった。
[PR]