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心の闇(長文)

「窮鼠猫を噛む」といいますが
あまりにも自分が追い込まれた状態になると、
異常な力が出てきます。

実際的な解決に向かって、
さらに集中していくのであればいいのですが
時には、脳内であちこちを敵に回し「噛み付く」、
そんなことをしてしまいます。

あちこちに歯形を残し、
残した歯形(…自分にだけ分かる)が、
あちこちにあるのを見ては
そんなことをする自分が恥ずかしく、情けなく、悔しく、
それがさらなる立腹!へと変化し、
怒りのしみ込んだ疑問を反乱させる。

これを続けていると、
人からのどんな愛情のこもった言葉も届きにくくなる。
届いていても、受け取り拒否の状態になる。
愛情それすらもが、
「いらぬことをしよって!」ぐらいの……心狭き状態になる。

泥沼化……。

ブログ「あかね雲」で、タマラさんの「自分で作る闇」(2月24日)を読んだ時、救われた、と思った私がいました。

「心の内にある闇を浄化する」

タマラさんは、必要に応じて、
この浄化を自分のできることとして行っていくそうです。
個別にというのではなく、
それは、目についたゴミを拾うような……
これは私流の表現ですが、
タマラさんのできることとして行っていくそうです。

先日のアクセスハートコミュニケーションセミナーで
行うことはブログに書いてあったので、
当日も「行いました」とおっしゃいましたが、
それは本当に「気づかぬうちにゴミを拾うがごとく」でした。

後で聞いた話によると、どうやら私は一回目の浄化の際に、
するりと会場を出たそうです(苦笑)
助かった、救われた、と思って何より楽しみにしていたのに
その瞬間に会場を出るとは、なんたるや! 
自分の中に大きな「はてな」が浮かびました。

どうしてその場を離れたのか
→そこにいたら浄化を受ける
→その場を離れれば浄化を受けない
→自ら部屋を出た
→浄化をしてほしくなかった?
→浄化を受けない→濃い闇(泥沼)を維持する
→維持したい? 維持しているメリットは?
→維持している=自分を苦しめる、先に進めない
→維持しない=自分を楽にする、先に進める
→楽にしたくないのか? 先に進みたくないのか?

そうやって進めないよ〜って言っている方が、
楽だと…思ってるんだな。
どうしたって「やる、やらない」では、
「やる」方がぶっちゃけいえば、
頭もつかう、気もつかう、体もつかうし、時間も使う。
あ、「お金」もつかわにゃならん……
思っただけで疲れてくる。
「こんなへたれでは、無理ですから」
ということにしたいと内心思っているのだ。

しかし、もっと言えばそれも言い訳。
自分が望む「本当にしたいこと」をすることに、
自分でびびっている。
究極は「びびっている」 
そこが結論だと思った。

どうやら、そんなことを考えているうちに、
何度か目かの浄化は逃げず(苦笑)受けたとのこと。
思えば、考えることに夢中になっていて、
逃げるセンサーが働かなかったかもしれない(まだ言うか!)

しかし、ここまで考えられたのは、
今の私なりの結論が出せたのは
浄化の効果かもしれないと、今になって思っている。

その後も、嘆くこと、凹むことはやっぱりある。
度を過ぎたな、と思い、いつものように「焼き塩」をやってみると
こんがりオークルに焼き上がった。「あれ?」

いつもなら、何度やっても塩は飛び散るか、
ガコガコに固まってしまい、
赤穂の粗塩が一袋終了してしまうほどなのに(おそるべし)
このこんがり加減はなんでしょう! GOOD!

人間って、いろんなことをするんだな、
あらためて思った。
自分であることの根源である「自分の存在」を傷めることも、
するのが人間。

それができるということは、
そうでない生き方も「できる」「ある」ということだと思う。

タマラさんは、自分のできることとして、浄化を行っていく。
私は、自分のできることとして、自分の「びびり」と向き合う。

びびりながらも、自分の本心の望む方向に進んでいく。
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