明らかになる 〜札幌でのワークを終えて〜 ④

言葉で落とし込んで落としこんで
行き着いたところは、自分自身の中にあった「さみしさ」でした。

「さみしさ」を抱えていると知られたくない。
「さみしさ」を抱えていると認めたくない。

「さみしい」思いをするのはもっと嫌だ。
「さみしい」思いを回避するために嘘もつく、誤摩化しもする…自分も人も。

自分が思うように、人も思っていてほしいな。
その思いが、いつしか
自分が思うように人も同じに思っている、同じでなければ嫌だになり

思っていないと知ると、自分勝手に憤ったり傷ついたり、
頑になってシャッターを閉め、鍵をかける。
そして一番嫌な「さみしさ」を自ら招いてしまう。

「自分は慕っている。それでよい」
「自分は愛おしいと思っている。それでよい」
「自分はこれをやりたい。それでよい」

相手には相手の考えがあり、思いがあり、同じではない。
相手ができることと、自分ができることは、同じではない。
同じではない。「それでよい」のだ。

そこまで考えていったところで、頭に「絆」という文字が浮かんだ。

私は前々からこの文字の意味がわからなかった。
「どうして糸偏に半分なのか?」
でも、ここまで考えた最後、頭に浮かんだ「絆」の文字を見た時に
「半」ということに、のびのびした自由な感じがした。

つながったものがあるのではなくて、まずは半と半があるんだ。
何かによって、その半と半が結びついて、絆に「なる」。

私は、自分勝手に「絆がある=同じ」と前提したことによって
絆ということのネガティブな面・・・つなぎとめる、拘束される、束縛される
そこにフォーカスしていってしまった。

絆のなりたちは、半と半から。
その見方に立てば・・・互いに協力しあう、互いに助け合う、互いに愛し合う、互いに思い遣る
そこが見えて、自分自身に本当に自由で明るい柔軟な感覚を感じた。

前提は、半と半。

体が軽くなったように感じるが、新たな…びびりとずっしり感も感じ、
ちょっとすーすーするような薄着になったような感じもするが、
その風が気に入っている。



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