今年最初のアクセスハートコミュニケーション ④

目には見えず、手に取れず、だけど掴める何かがあります。

本当にその言葉通りだった。

「皆さん掴みました」…と言われても。
目に見えるものも、手に取れるものもあったわけではない。

ただ、目を開けた時、今ここに自分がいるという
「確かな感じ」があった
「据わった」感とでもいえるだろうか。
動じない、静かで落ち着いたその感じが気持ちよくあった。

掴める何か、はあったと思う。

なぜなら、その日のアクセスハートコミュニケーションは
向かい合う一人ひとりが「かさこじぞう」の
お地蔵さんのように思えたから。

「答えをもってきてくれる」
そう思えるほど、
日頃考えていたことや、少し前に考えていたこと
考えたままフックにかけておいたような事の答えを
自分が受け取った直感、として私の前でしゃべってくれた。
あるいは、
止まっていた考えを動かす言葉を投げかけてくれた。

頭の中で「こうだ」と思っても、
実際に言語化されていないと
自分の中にあっても定着しないことがある。

例えば、ある人とペアになったとき
私は、「人生の 師 について」問いかけた。
その時に、ペアになった相手は、「最高の先生に恵まれている」
という答えを返してくれた。

「ああ、そう言う(表現する)んだな。」と思った。
感じてはいる。思ってもいる。
そのfeelはあっても、どう表現するのかまで
落とし込めていなかったりするのだ。

人は言葉で考える。
だから、思いも言葉になれば頭の中でも明確になる。

「最高の先生に恵まれている」
その言葉通りだ。私も本当に先生には恵まれて来たと思う。
そして、その恩をいつも返せずに来たような気がして
自分は恩知らずな人間なのではないかと
自分を責めてしまうときがあることも知っている。

「最高の先生に恵まれている。」
「そのことに感謝している。」

相手の発する言葉をそのままにただ受け取りながら
私は、その言葉と自分の中にあるものとの差異と
差異に当たる部分がどう言葉で表現されるのかを
ずーっと考えていた。

「私にとって 感謝 って何なんだろう?」

ワークから数日経ってもずっとそのことを考えていた。
そして、出た結論が
「おかげさまで、やり遂げることができました」
これをもって、私は「感謝」としたいんだ。
という自分の気持ちを掴むことができた。




つづく


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