カテゴリ:アクセスハートプロジェクト( 32 )

言葉で落とし込んで落としこんで
行き着いたところは、自分自身の中にあった「さみしさ」でした。

「さみしさ」を抱えていると知られたくない。
「さみしさ」を抱えていると認めたくない。

「さみしい」思いをするのはもっと嫌だ。
「さみしい」思いを回避するために嘘もつく、誤摩化しもする…自分も人も。

自分が思うように、人も思っていてほしいな。
その思いが、いつしか
自分が思うように人も同じに思っている、同じでなければ嫌だになり

思っていないと知ると、自分勝手に憤ったり傷ついたり、
頑になってシャッターを閉め、鍵をかける。
そして一番嫌な「さみしさ」を自ら招いてしまう。

「自分は慕っている。それでよい」
「自分は愛おしいと思っている。それでよい」
「自分はこれをやりたい。それでよい」

相手には相手の考えがあり、思いがあり、同じではない。
相手ができることと、自分ができることは、同じではない。
同じではない。「それでよい」のだ。

そこまで考えていったところで、頭に「絆」という文字が浮かんだ。

私は前々からこの文字の意味がわからなかった。
「どうして糸偏に半分なのか?」
でも、ここまで考えた最後、頭に浮かんだ「絆」の文字を見た時に
「半」ということに、のびのびした自由な感じがした。

つながったものがあるのではなくて、まずは半と半があるんだ。
何かによって、その半と半が結びついて、絆に「なる」。

私は、自分勝手に「絆がある=同じ」と前提したことによって
絆ということのネガティブな面・・・つなぎとめる、拘束される、束縛される
そこにフォーカスしていってしまった。

絆のなりたちは、半と半から。
その見方に立てば・・・互いに協力しあう、互いに助け合う、互いに愛し合う、互いに思い遣る
そこが見えて、自分自身に本当に自由で明るい柔軟な感覚を感じた。

前提は、半と半。

体が軽くなったように感じるが、新たな…びびりとずっしり感も感じ、
ちょっとすーすーするような薄着になったような感じもするが、
その風が気に入っている。



Reiko.Sからのお知らせ☆☆☆
直感を磨くワークショップ
「アクセスハートコミュニケーション」は
今週末東京で開催です!
====================
アクセスハートプロジェクト
[PR]
ある出来事をきっかけとして
自分の中にある1つの「弱さ」を認めました。

それは、札幌で「弱さ」について話し合った時に
グループになった人の言葉や自分の言葉をメモした中にもあったことでした。

自分の感情や思いを押さえたり、受け流してしまうところ。

札幌ではそのことを共有はしましたが、
私自身「思い当たってはいる」ということで終わっていて
そこから深く掘り下げようという行動には出ていませんでした。
ある意味それも、「受け流した」のだと思います。
なぜならば、そこに向き合うことはかなりしんどいと直感的に感じたから。

ある出来事があり、
私は「いつものように」そこで感じたことを習慣的に受け流しました。
あたかも「考えた結果」という巧みなトリックを使って、
わき起こったハードな感情を、思考によって封じ込んだのです。
その時は封じ込んだなんてこれっぽっちも思っていません。
感じ、考え、消化した、と思っていました。

しかし、その時は不意に訪れました。
翌朝、facebookで友人が青春時代の懐かしい曲
大好きだったレベッカのcheep hippiesをアップしていて
その曲を再生させながら、facebookの画面をスクロールしていました。

そして、ふとある友達の記事が目に留り
その記事を読んでいたら・・・
にわかに目の前がにじみ、胸が締め付けられ、涙が止まらなくなりました。
その文章は特別感傷的なことが書いてあったわけではありません。
逆にとてもポジティブな内容でした。
なのに、私はまるで親に叱られて泣く幼児のように泣いていました。

原因はおよそ察しがつきました。
とにかくこれが今の私だと、ひとしきり泣ききりました。
泣いている間も曲は流れていました。
そして、なぜかその曲のワンフレーズだけ口ずさんだんです。
曖昧な世の中に戸惑うエンジェル
口ずさんだことで、自分の声を自分で聞き取ったことで、
私をとりまく環境、私という世界=今の私自身の「曖昧さ」に
まさに戸惑っている自分がリアルになりました。

根本を見よう。いつまでも この曖昧さ は抱えていたくない。
今まで見ないで来たことが、あるのだろう。
今まで認めたくなかったこと、それを見ることにもなるだろう。
今、それを見よう。
今、どんなところに着地しようと、それを認めよう。
今が、その時。

実感ノートを開いて、きっかけとなった出来事から
順を追って自分のことを自分の言葉で書くことにしました。

…続く
[PR]
「続く」と書いているのに次がなかなかアップできず
「墓穴を掘ってるわよ」と言われて、返す言葉もありませんでしたが
なかなか自分の中で考えがまとまりませんでした。

ノートを見直してみると。。。
今回北海道の皆さんとグループトークしたときのテーマは
①弱さについて
②成功するために、幸せを感じるために「ここに直感が欲しい!」ということについて
③「あなたにはこういうことをやってほしい」グループのそれぞれに伝える

こうしたテーマでグループを変えながら1日トレーニングを続けました。
そして、最後。
座りたいと思ったイスに座り、そこに「居合わせた」だけとも思えるそのグループは、
「支えあうことのできる、助け合うことのできる人たち」とのことでした。

最初は、お互いに顔を見合わせてきょとんとしていましたが
話していくと、他の二人のことを私は好きだな〜と思いました。
考え方の癖も、思いを聞くことも苦ではなく、逆に重なる部分もあり
話せばはなすほどに、「ただこのグループになったんじゃないな」ということを思いました。

「テーマ」と思って取り組んでいる間は気づかなかったのですが
今回のテーマは、振り返ってみると…とても深くて
真摯に取り組むほどに豊かになれるテーマだったように感じました。

今になって、今日になって、なぜ自分が書けないでいたのかが
わかりました。
それはまた明日、書きたいと思います。

続く・・・
[PR]
週末は、札幌で「自分を活かすワークショップ(お金編)」
そして、直感を磨く「アクセスハートコミュニケーション」
土日かけて2つのワークを開催しました。

札幌はもう雪のたよりも聞かれたとのこと。
コートにニットなど温かな装いの方が多く、会場には暖房が入っていました。
ジャケットだけの私に「寒くない?」と心配してくださる札幌の皆さん。
しかし、ワークがスタートすると徐々に皆さんの熱気が上昇!
一番寒がっていた方も、途中からは上着を脱いでいらっしゃいました。

さて。
今回は、受講人数が偶数でしたので、
ペアになってのトレーニングの輪には人数合わせで加わることはなかったのですが
グループディスカッションでは、皆さんと一緒にトレーニングさせていただきました。

テーマを与えられるのは、有り難いことだと思いました。
初対面の人同士でも、それを「もと」にして話をすることができます。
ワークショップですから、参加しないと意味はなく、
テーマが与えられたら、「なんで?」とも思わず、まず!始める。
普段、人とシェアしないような話でも、一所懸命に話したり聞いたり・・・

何より、それが・・・楽しい、ということに気づく。
なぜ?を生み出す。
気づくと、もっと聞かせて、もっと話したい。になる。
もっと聞き取れるようになりたいし、もっと思いを表現したい、そう思う。
だからもっと直感で、「情報」を受け取りたい! になっていきます。

ワークに取り組んでいた、テーマに取り組んでいたはずが
「人」に取り組み始めている。
今目の前にいる人、そして自分自身に夢中になっている。

…続く
[PR]
結論として

深夜見ていたテレビのドキュメンタリー。


俳優Tさんが、NYで演技のレッスンを受けるのを
途中から見ていた。

自分を解放する。
俳優であること、演じることとは?

厳しいレッスンで突きつけられるものは、すべてはそれへの問いかけだった。

「あなたは、〇〇(役柄)なのよ」ではなく、「あなたが、〇〇なのよ」

「は」と「が」の違いで、大違いになる。でも、本当にここを「わかる」のが
きれいなだけではない、かっこいいだけではない、俳優という立場にいる人なんだと思う。

彼は、自分を解放し、その役であることにチャレンジすることに
くたくたになってスタジオの床に倒れこんだ。

「くたくただよ」といったTさんの言葉に
「まだ、その役になっていない証拠」というような言葉が、間髪入れず飛んできた。

あ、そういうことなんだ。
はっきり、すっきり、腑に落ちた。

中級クラスの二日間で、くたくたになった私は、
それすなわち、「初級リーディング」を達成していない。

そういうことなんだ。

出来なかったということよりも、きっと先に感じるものは「もやもや」感。
そして、それを自分や他者への
疑問や疑念に、凹みや否定につなげていく、それは感情的なものを事実と誤認するから。

事実は、「今回は、達成していない」
ただ、それだけのこと。

そして、その事実から、自分の次の行動をどうするかを、決めたらいい。自分らしく!


・・・そして、またテレビを見ていた時、目に飛び込んできた言葉。

「まだ、始まったばかり」


そう、まだ始まったばかり。一回では、身につかなかった。それが現実だっただけ。

このまま続けるか、ここでもうよしとするか。



私は身につけるまでやる。「やり続けるしかない」。

本当に身につけたいから!


ということで、今、もうこの瞬間から、納得するまで磨き続けます。
[PR]
ようやく疲労感は薄れてきたが
疲労感がとれればとれるほど
自分というものの「頑固さ」が鮮明になり、悔しさと行く手の果てしなさでいっぱいになる。

少しずつ、でも正直に、より深く自分と向き合おう。
そういう日々の中にある。

以前、タマラさんは「誘導瞑想」というワークを行っていた。
これは、瞑想状態の中でタマラさんの声と言葉によって、自らの内にある今必要な答えを受けとり、
それを「自らリーディングする」というものだった。

この時に、「自分をリーディングする」ということができなかった。
瞑想の中でたしかに鮮明にビジョンを視ている。
しかし、それが何を意味しているのか、何を教えているのか
その本当のところ=真実が、読み解けなかった。

読んでも、まったく真意にたどり着けておらず
タマラさんに自分の視たものを伝え、タマラさんのリーディングを聞いて
雲泥の差、天と地ほども違う内容に、茫然自失を何度も繰り返した。

タマラさんの言葉を聞いて
「わけもわからず」
大泣きしたり、激怒したりしたことも…あった。
激情が落ち着くと、ぽっかーん・・・。
「なんで怒ったの?」
「なんで泣いたの?」
放心状態になって、グループトークに加われなくなったこともあった。

あるときは、タマラさんの言葉に、「そんなことはありません!」と言ったことも、ある。
「意味が分からない・・・」と、聞き流したこともあったように思う。

全然当たってない!と、心の中でぷんぷんした、その数か月後
「タマラさんの言った通りでした」と、何度頭を下げたことか・・・。


「私のリーディングを待たずとも、誰もが自分の答えを自分で読むことはできます」


何度も言われた言葉。

あれはたしか・・・
「これから必要になること、大事になること」について誘導瞑想した時だったと思う。

私は、ビジョンで算数で使う「コンパス」を受けとった。
私は「描く、創造すること」と読んだが、タマラさんのリーディングでは「計画」だった。

そして、その「計画」ということがが、公私に渡って随所に大事になってきて、
タマラさんの言葉、口調までもが思い出され・・・すごいと思った。

自分で自分の答えをビジョンとして受け取っている。
ここまではできる。
この答えを、誠実に読み解けたら、、、いや、読み解ける。
なぜなら、自分の内にあって、自分で受け取ったのだから。自ら教えている答えなのだから!

「タマラさんのようにリーディングできるようになる」

今思えば、コンパスを受けとったあの日の誘導瞑想から、
「できるようになるまでやる」というスイッチが入ったように思う。

「アクセスハートコミュニケーション」のワークを重ねるようになって
だんだん、あのコンパスの時のタマラさんの感じ、感覚が掴めてきたように思っていた。
その手応えは確かにあった。

しかし、今回のワークの中でタマラさんが掛けた「トラップ」に、まんまと引っかかって
引っかかったと種明かしされてもなお、
またあの「ぽっかーん」になった自分に、頭が真っ白になった。

リーディング。
この道の果てしなさ、自分がまだまだ発展途上もいいところだということを思い知った。


・・・続く
[PR]
アクセスハートプロジェクトでは
9月29日、30日の二日間、
直感を磨く「アクセスハートコミュニケーション」の中級クラスを開講した。

私も輪に加えていただき
受講者としても二日間を過ごした。

クラス終了の翌日、全身に疲労を感じ
「何でこんなに疲れているのか?」と、考えた。

当日のスタッフとしての気張りは、終了当日で解かれ
その他の仕事についてのあれこれも、整理、見通しが自分の中ではできてくると
この二日間の中で、疲労・消耗を感じさせるものとして残るものは
「エネルギーワーク」しかない。

客観的に見れば、タマラさんの個々へのエネルギーワークを受け、
あとは、座って二人組で、次にグループで、話をしていただけで
飛んだり走ったりしたわけではない。

個々へのエネルギーワークもそうだが
タマラさんは、あの「場」に
各自が能力を鍛えるために役立つエネルギーを充満させている。

それは・・・あくまでも私のイメージだが、流れるプールのような感じ。
自ら鍛えようとしなくても、流れるプールでフローティングしているだけでも
心地良い疲労感はあるだろう。
自ら目標を決め、流水を活用して自分を鍛えようと泳ぎ続けたら、
疲労・消耗は想像に難くない。
その中で、トレーニングし続けた二日間だったのだと、実感した。


・・・続く
[PR]
本気という状態は、事に対して、まじめに、真剣に取り組んでいること。

まじめにやろう、真剣にやろうと自分にいったり、人に言ったりするが
それはイコール「本気でやろう」と言っていることなんだな。

しかし、まだひっかかりがある

本気には、「ポジティブ」が必要不可欠だと感じる。
ポジティブな自分の時は、いろんなことが「はっきり」している。

やりたいこと。
見たいもの。
食べたいもの。
感じること。
考えること。などなど・・・

曖昧になっていたということは、「ネガティブ」の中にあったと思う。
ネガティブな状態だと、私の場合、
いろんなことが「わかりにくく」なる。

何をしたいのか、すべきなのか決められない。
悩みが長引くようになる。
表情が乏しくなる。
声が低くなる。出にくくなる。
見逃しやすくなる。
聞き逃してしまう。
キャッチし損なう。などなど・・・

あくまでもこれは私の実感。

「やっぱり、ポジティブで在るということは、大事」

しかし・・・まだ納得いくところに至らない

このことを考えていると、
車のキーを回すが、エンジンがかからない。
その感覚

なぜ、エンジンがかからないのか。
エンジンのかからないもどかしさ、イライラを感じていると
キーを回しながら、何を思考しているかが、視えてきた

「何をしに(目的)、どこに行く(目標)」

これだ。私はキーを回しながら、そこを考えていた。

目的は、自分の中で明確にある。
ただ、次なる、ここからの行き先を
決めかねていたんだ。

かつて無口だった父は、
子どもたちを乗せて行き先を言わずドライブに連れて行った。
どこにいくかわからない。
でも、「父も」わかっていないのではなく、
父の中にはどこにいくか決めてあった。
少なくとも候補はあっただろう。

子どもの私は、行き先がわからなくても、
普段コワい父が、無口にも連れて行ってくれるだけでワクワクしたし
いつも行った事のない遠くまで連れて行ってくれるので、
ただただ楽しかった。


なぜ、このことを思い出したのだろう。
これも、ひとつの直感

ここにも、今必要な「何かがある」。
[PR]
いや、待てよ。

もしも…ここからはあくまでも架空の話になるが
もしも、目と手が止まった名札を「持って行く」という選択をしていたら
携帯を忘れる、という…ある意味「選択」はなかったかもしれない

ここまでのことを検証しながら
最初はおぼろげだったことが、次第に実体となり、大きくなって
確かな課題になって目の前に現れた。

「本気」

本気というと、どこか鼻息荒い感じがするが
本気を辞書でひくと、「まじめな気持ち、真剣な気持ち」とある。
(デジタル大辞泉、小学館など)

今、自分
まじめにやってる?
真剣にやってる?



曖昧になってる自分。。。それこそが、答えだ。

曖昧を抱えっぱなしで走るのは、やめる。

まったく関係ないところで曖昧にしていても
体はひとつ、自分はひとり。
思考、行動のあらゆるところに出てくるんだと、思った。


自転車をこぎながら
どこが自分がまじめでない、
真剣にやっていないと思うところなのかを考えた。

そして、まじめにやったら、真剣にやったら、
自分にどんなことが起きるのか
、を想像した。


(続く…)
[PR]
なぜ、「持って行く」という選択ができなかったのか。

目も手も止まった。
体が反応していることには気づけた。
そこで、お名前とお顔の記憶が繋がって、繋がったことで安堵してしまった。
(日頃、自分の記憶力にからっきし自信がないゆえに・・・)

目と手が止まったことは、
記憶力を確かめるためでないことは、明らかだ。
記憶力チェックなら、全部の名札をトランプの神経衰弱のごとく
1つひとつ記憶と照合していけばいいのだから。

なぜ、この1つの名札「で」、目と手が止まったのか。

「なぜ」は、この時点ではわからなくてもいいとして、
まず、「この名札に、目と手が止まった」という事実。
その事実から「何かある」と考えられること、それが肝心だったのではないか。

何かある、そう考えられたら、
何かあるかもしれないから、持って行っておこう。
そんな「選択」も浮上しただろうから。

直感を受け取る → 「何かある」と考える。

「まさか、でも、だって」は、なし。
「ありえない」も、なし。
「何かある」、何があるか。を考えること。

「名札を持って行っていても、携帯忘れたんじゃ、
 家に戻ることには、変わりなかったわね」

自転車をこぎながら思った。

(続く…)
[PR]