「ほっ」と。キャンペーン
土曜日には東京で初めて
「トラストハートディスカッションセミナー」
を開催しました。
受講くださった皆さん、ありがとうございました。

セミナーを開催するようになって
「目的意識」の大事さを痛感します。

私自身、
過去にセミナーやワークショップなどに参加してきましたが
「参加することで達成感」という場合が多かったかも…
と反省しています。
出たから何か変わるだろう、
何か知恵がついただろう、、、というような。

自分がセミナーの主催側になって
たくさんの受講者の方々と接するなかで
1回目より2回目、
いやその時間の中でも、あら!と思うくらい
表情がイキイキ変わっていく人がいます。

話をすると、
「今やってることをもっとなんとかしたくて」
「これからこういうことを始めるのでどうしても」
そんな感じで、「自分のためになることを掴んで帰る!」
そういう心意気で臨んでいる方であることが多い
ということに気づきました。

こういう人たちに出会うと
「私もあのとき…」とちょっと悔しくなります。

しかし、そうでなくても、輝いていく人がいます。
最初は友達に「ついてきた」的な人でも
最後、連れて来た人以上に
「面白かった!また受けたい」と言っていい顔で帰られる人。

目的意識ゼロからでも変わっていく人は
講師の言葉に、ペアを組んだ人とのやりとりの中に、
誰かの表情、誰かとの会話の中に、
何か「!」という、きっかけを直感的に受け取って、
自然に自分の「ポジティブ発動!」に
スイッチしていきます。


もっと考えると
「その場にいる」そのことが、
もうチャンスを掴んでいる! ラッキー!
どれもこれも、チャンスなんじゃないかな。

目的が明確なら、そのチャンスから、
フルに「得するエキス」を吸収することができる。

自分が好き、好きなところがちょこっとでもある。
大事な自分には「得」させたい。得したい。得が好き!

そのことが、自分の内外にある無限の情報の中から
今、必要な情報をキャッチする「力」になる。

今、ここにいる。
今、これをやる。

まさにこれは、チャンス到来!なのではないでしょうか。

「今」
この中にある、
自分のために、自分が本当に「得」するように
直感的に感じること、感覚を逃さずキャッチしたいですね!
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鹿児島での
アクセスハートコミュニケーションセミナーでは
「核心を突く」ということが、
明確な目標になっていた。

参加者が奇数の人数だったため、
スタッフの私も中に加わらせてもらい
一日セミナーを皆さんと共に受け、
トレーニングに取り組んだ。

アクセスを受ける事で、自分はどうなりたいのか。
そこを明確にして取り組んだ結果、
ひとつの感覚=手応えを得る事ができた。

ひとつのビジョンを掴んだ時、
「意味が分からない」という時がある。

今までは、
そこから考えを進めていく事ができなかった。
ビジョンどまり。
何を意味するのか、何を象徴しているのか
さっぱり展開も、解剖もできていかない。
できたと思っても、それこそ「1」でも書いたように
見当違いだったことの方が断然多かった。

しかし、今回は考えを展開する、
視点を変えていける感覚=手応えがあった。

それは、あくまでもこれは私の感覚としてだが
掌がふるいになったような感じで、
ふるいを振っていると、
本当に必要なことが掌に最後に残る。
そんな感じだった。

面白い。
何より、すっきりして穏やかで揺るぎなかった。

この感覚をもっと研ぎすませていきたいと思っている。

セミナーを受ける方には、
「なんのためにセミナーを受けるのか」
その自分の動機を、シンプルに端的にしておくことを
お勧めしたい。

自分にわかる、自分の「これ!」という動機を持っていれば
今までよりも手応えが増すと思う。

この週末は、
トラストハートディスカッションセミナー。
受講される皆さんに、
それぞれの「手応え」を感じてもらいたい。
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いつも謎だったことがある。

それは
自分の思いと
タマラさんからリーディングで言われることが
いつも「真逆」ぐらいの開きをもって違うこと。

例えば、「誘導瞑想」の時に
私は、分度器やコンパスをビジョンで受け取った。
そのビジョンを、私は、何かを「設計する」ことだと解釈したのだが
タマラさんのリーディングでは「計画する」だった。

最初は、「計画? なんでコンパスで計画なの?」と疑問だったが
それから日々を過ごす中で、いろんなことを感じていく中で
「やっぱりあれは計画のサインだった」と腑に落ちた。

他にも、
「嫌い」と思っていることが、
タマラさんのリーディングで「あなた本当に大好きなのね!」
と言われたり
自分では堂々と落ち着いていると思っているが
「びびりよね」と言われ、かちーん!と来たり。

でも、それからしばらくして、気づくのだ
「その通りだ」と。

本当は好き、でもいろいろあって「嫌い」だ。
というのと
「本当」というところそっちのけで、
ただ「嫌い」というのとでは
「嫌い」の質がまったく違う。

「自分のことを、自分でわかるようになりたい」

何をどうすれば、どこをどう磨けば、
自分で自分の「答え」をいつも掴めるようになるだろう。
いろんな事情や、いろんな感情で
本質に迫れないようにしてしまうのも、人なんだと思う。

でも、その時は困難でも、理解し難くても
自分の「本当」を知ることこそが、
その後に晴れ晴れとした気持ちをもたらす。
本当に堂々とした自分になれる。

だから、核心を突きたい。

それが私の課題になった。
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あいにくの雨になりましたが、鹿児島での1日目は、こちらのアドバンストやメンバーのみなさん、初めての方々と共に、タマラさんを囲んでにぎやかな交流会となりました。
タマラのエネルギーを使う=一所懸命に生きること。どんなときも自分次第。
そしてその「自分」は
自分が生きていく、誰かの役に立ちたいと生きるための能力と可能性をさまざま持っている。
そのことをそれぞれに感じられる交流会だったと思います。
今日はアクセスハートコミュニケーションセミナー。直感への関心も高まった皆さんとのセミナー、熱気に満ちた時間になりそうです!
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by bluebean | 2012-04-22 06:31
トイレ掃除をして、さてさて新しい便座カバー
(商品入れ替えで、安く購入できた!)
に取り換えようとしたところ。。。

毎日使っているトイレの便座の形を間違え
「うそ。。。」

毎日使っているのに、認識できていない。

ごめんよ、マイファミリー。
しばらく「ひや!」っとする便座で我慢してください。

とそのとき、この便座カバーを買った時のことがよみがえってきた。

「この商品は衛生商品のため、交換はできません」

はっきりと文字が浮かんでいる。そう、その時、私はその表示を見て
「そりゃそうだよな」と思っていた。

しかし、そこどまりだった。

取り換えが出来ない⇒この商品は返品できない⇒便座には2タイプある
そして、もう一度、自分が今手にしている商品を「確認」する。

あれは、まさにそのチャンス到来!だった。

なぜ確認しなかったんだろう。そこを考えた。

確認しない=思い込んでいる。
それはあった。でも今一度と思うこともできたはず。
なぜ今一度、という発想ができなかったか。

安く買えた~私って直感さえてる~!と、思い嬉々としていた。
これは、本当。

しかし、間違ったものを買っては、「意味がない」のだ。

あの表示を見た時。

「大丈夫、大丈夫」・・・・・・・・・・過信
「自分は間違っていない」 ・・・頑固、傲慢
「確認するの、めんどくさい」・・・いい加減

これにより、直感で受け取った情報をスルーしてしまった結果が
「使えないものが残り、お金を失う」という結果になった。

トイレ掃除から始まったこの結末は
「臭いモノには蓋をしときたかった」、自分の性分に行きついた。

・・・こういうところがある、これが私なんだ。


じゃあ、今度こういう場面ではどうするか。


最悪なケースは、再び同じことをすることだ。
物は使えず、お金は消えるなんていう、損はこりごり。

最善の方法は
「鮮烈な直感は、必ず確認する」

基本的に流れに乗っているときの直感は、
直感を直感とも意識せず体が動く。

しかし、今回もそうだったが、
そのままだとまずいよ、というシグナルは、
情報としてけっこう「はっきり」している。
そして、のちのちまで鮮明な記憶となって残っている。


過信しやすく、頑固で、いい加減なところのある私には
回避すべき時、「はっきり」わかりやすい情報で、
直感は私に知らせている。

いや、直感は私の中にあるのだから、
これは「私が私に知らせている」のだ。

そこに行きついて、自分への
「ごめんね」
「ありがとう」
満杯な気持ちになっている。


直感をしっかり掴もう、そして活かそう。
なによりも、自分のために。
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真剣な時を覚えておこう
真剣な時の自分の感覚を覚えておこう
静かに落ち着いた
あの真剣な時を、忘れないようにしよう
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タマラと出会ってからの日々で得たものは
「はっきりする」ということ。
良い、悪いを超越した「明瞭さ」。
それが、私にとってのタマラだ。

人生のサポートとなるエナジーと出会って、
そのことを実感しているということは
それを私が一番に望んでいるのだと、今思う。

私が、タマラと出会ってから、何が一番の発見だったか。
それは、びっくりするほど
「頭で生きている」ということだった。

私は自分の心を大切に、思いのままに生きている。
という想定の、頭で作り上げた人生を生きていた。

この仕組み、わかるだろうか。
はっきり言って「ややこしい」。

ややこしいがシンプルにいうならば、
思いのままに生きるということは、
こうすることだ、ああすることだ、こうすべきだ、ああすべきだ
という「あるべき論」で、
予め頭で用意していたということ。

このややこしさ故に、私の心は、思いは
「明瞭さ」を求め、「はっきりすること」を望み、
人間的に、私的に「良いこと、悪いこと」
すべからく明るみになっていった。

そして、本当に水滴が石を穿っていくように、
「自分の思い」「心」を軸にする
自分の望む生き方へと
パラダイムシフトしてきた年月だったように思う。

頭で生きることは、癖にもなっている。
やはり今でも知らずそうなりかける。
しかし、
何かこうしっくりこない、なんだかうまく行かない。
そんな匂いともいうべき、
気配ともいうべきサイン=直感に気づけるようになってきた。

振り返って思うに
思いに基づかずに頭で考えていた間は、
コラージュだった。

あっちのいいと思うものと、
こっちのいいと思うものとを切り貼りして
「私」をイメージしていっていた。
それを「私の思いを知る手がかり」
としている間は良かったが
それをそのまま「=私」としたところから、
自分を見失ったように思う。

タマラと出会い、
自分の心にアクセスし直し始めてから、
「自分の絵を描き始めた」
この表現が一番しっくりする。
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伊豆高原にある「ロロシトア」という
オーガニック、フェアトレードショップ&カフェで
ネパール在住の
パスカルさんの写真&アリスさんの絵の個展が開かれました。
町田での展覧会には行けなかったので、
今回はとても楽しみだった。

パスカルさんと話をする中で
どのようにしてこのような写真が撮れるようになったのか
と質問した。
それに対して彼は、写真を勉強したことはないと言い
experience(経験)によるものだと話してくれた。
そして、それはアリスさんも同じだといった。

撮りたい、描きたい。

自分の felling(直感的に抱く感情、気分、感じ) 
に忠実であること。
そして行動することが表現となる。

考えや計画や想定が先攻しているのではないということを
彼は何度となく言葉にし、私たちに伝えた。

その話しを聞きながら、思い出したことがある。

NHKBSの『旅のチカラ』という番組が好きなのだが
料理家の栗原はるみさんが登場した時の
旅先となったイギリスの一つ星レストラン
「ゴティエ・ソーホー」の
シェフたちの様子、そして言葉。

誰もが一定の味のものを作れるように
すべてを「量って来た」栗原さん。
しかし、そのレストランのシェフたちは、
基本いっさいメジャーを使わない。
自分の舌で確かめオーケーを出す。
食材選びも同じ。
市場に行き、自分の目で、自分の嗅覚で食材を感じ、
そこからのインスピレーション、
イマジネーションで料理を創造する。

面白いと思うことを、やってみたいという衝動を、
素直に行動に移す。
良い感じがしたら、それをもとにイメージをし、
やってみる。

メジャーがないから、ではない。
味は自分の舌を信じればいい。
自分の感覚を、感性を、
自分自身の喜びの感覚を、好奇心を信じる。
何もなくても、
今こうして感じていることから始められることを
信じている。

舌があるじゃないか。
目があるじゃないか。
鼻が利くじゃないか。

「何も恐れることはない」

私にはそう聞こえた。
そのことを、パスカルさんと話してい思い出していた。
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小学校の入学式、ちょっと肌寒かったですが、空は春色。

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木々からは伸びる新芽。「さあ、おいで」と雲と空。

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ユキヤナギの中に、桜をみつける。バラ科どうし仲良く同居。
ユキヤナギの中から、するするするっと伸びて、花一輪。
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明日から新学年、新学期。
合宿から帰宅した息子を待っていたのは、
家族と宿題。頑張れ!
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