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佐藤礼子Reiko.S
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社会で起きていることは、
人間そのものの現状の投影のように思えるときがあります。

たとえば、エネルギー問題。

原発のこともあり、
その前からも有限の石油エネルギーに代わるものについて
関心が高い。
でも、遥か昔から人間は生きていて、生きてきた。
石油を使ったり、石炭を使ったりしてきたけれど
それより遥か前、
人は「そこに在るもの」のエネルギーを使って
安直な発想かもしれないが、
例えば煮炊きは「火」力を、
「水」のエナジーで水車を回し、
「太陽光」や「風」で洗濯や食材などを干す、、、

そこに在るもののエナジーを活用して生きてきた。
たぶんこういう時間の方が遥かに長いのではないか、と思う。

在るものを活かして
必要なエネルギーを担保する、という発想だから
「活かす」ことにおいては、
人間はいろいろと能力を持っているのではないかと、
想像する。
「活かし、活かされ、活かし合う」
そのための知恵や能力。

基本は、自分を「活かす」こと。
なぜならば、
自分自身が生命体としてのエネルギーを持ち、
地上に「在る」存在であり、
他の「在るもの」を活かせる存在、だから。

そして人との間で
「活かし、活かされ、活かし合う」こと。
ここにおける知恵と能力は
計り知れないのではないかと思う。

なぜなら、それを頼りに生きてきた
(生き延びて来た)時間の方が
遥かに長いと思うから。

「活かす」は、
「感じる」「感覚」「感知」によって始まり、
「思考」によって進み、
「やってみる」ことで形になっていく。

1日1分、このサイクルが稼働していたかな?と、
思いを馳せるだけでも
「自分」というものの存在エネルギーは、
質的に本来のあり方に向かって
変わっていくように思う。

エネルギーを問題にしているのは、
人間と人間の社会。
だとしたら、
人間がより本質を取り戻す方向で動き始めたら
人間そのもののエネルギーは活性化し
何かに頼っていた分を 省エネ できるのではないか。

そんなことを考えている。
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やり切れば、本当に何も残らないものなんだ。
本気でやった時の事は、、、
やりたくてやったことなので、すごくも何ともなく自分の中で終わっている。
その感覚を思い返した時、私は、社長のブログ「あかね雲」のビジュアルが
思い浮かんで、自分なりに納得するものがあった。
そう、今日一日やり切ったら、私は明日に向かって立てる。明日を堂々と指差し目指せる。

東京でのトラストハートディスカッションで、
「自分が進むために、自分が何に対して不満を抱いているか」
についてグループディスカッションしたのだが
究極行き着いた結論は、
自分のパフォーマンスへの不完全燃焼、不本意な気持ちであり
そのためにも省みる時間を持つこと、だった。
それによって私は、期待感を抱いて明るく明日を迎えられる。
今日のことが見事に肥やしになる。
肥やしはいつまでも肥やしとしてない。
分解されて生育に必要な栄養となって使われていく。
分解されてこそ、跡形もなくなってこそ、肥やし。

何も残さない。一日一日をそのように過ごそう。
気持ち良く!
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やりたい。
とすれば、自然な流れとしては、やる方向で動き出す。
直感的にアイデアが浮かぶ、
そこから考え検証しながら、実際の行動につながる。
やりたいと思ってから実行まで最短距離になる。

ただ、ヘタな考えで
やりたいという本気に「通行止め」をかける時があった。
迂回迂回の大回りになり、やりたい気持ちも削がれ
疲労困憊。挙句、間に合わないという悔しい結果を見る。

前者の場合、後悔はないが、後を引くような達成感もない。
その時は、やった、できた、良かったなどの気持ちは起こる。
が、すべて昇華されてしまい、本当にキレイさっぱり。

後者は全くその逆で、いつまでも、何年経っても思い出す。
「あの時、やりたいって思っていたのに」

考えあってそうしたが、それがヘタな考えだったのは、
その時の状況の把握が、適切でなかった。
ただ自分の考えに頑なになり、躍起になり、
やりたいという本気の力を封じた。
ゆえに全ての感覚スイッチは電源オフに、、、。

つづく
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イギリスでのイベントを終えた洋子さんから電話をもらった。
仕事と長旅の疲れのまったくない、
イキイキとした洋子さんの声に
終始笑い通しの電話になった。

洋子さんとは、
タマラアソシエーションのインストラクター、
林洋子さん。
アロマでもインストラクターとして、
お住まいのある愛媛のほか各地で活躍している。

私は、洋子さんをもっともっと多くの人に
知ってもらいたいと思っている。
なぜなら、
これは以前にもどこかに書いたかもしれないが
私は、洋子さんのアロマへの思いや生活への取り入れ方に
共感しているから。

アロマのことを聞くと、
「母」のように、「姉」のように教えてくれる。
また、教えてくれる内容も、
専門知識と生活実感がぴったり寄り添っていて
何より「自然」なのだ。

私の中に、
彼女をプロデュースしたい
という気持ちが起こったのは
とても自然なことで、何の違和感もなく、
昨年まずは、
毎月開催しているタマラの交流会のスペシャル企画として
『洋子さんのアロマ時間』を開催した。

アロマを和室で、という
なかなかないセッティングになったが(^^)
まず一歩踏み出した、そんな思いだった。

そして、その後も彼女はアロマで自分の可能性を追求していて
いろんな「楽しいこと」を生み出している。
「それは、ぜひ東京で!」
「それも、ぜひ東京で!」
何度リクエストしたことだろう。

それが、この日曜日、
叶うことになった。

「洋子さんのアロマ時間」

今回は・・・
「ヴィーナスオイルづくり」をすることに決定!

以下はご案内です。
もし、このブログを見て、行きたいと思われたら
reikosato@docomo.ne.jp までお申込みください。

○お名前 ○連絡先メールアドレス をお忘れなく。

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「洋子さんのアロマ時間」 今回はビーナスオイルづくり
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5月20日(日) 
スケジュール:午後1時半〜3時(オイルづくり)
       その後5時まで交流会
会    場:葛飾区内 佐藤までお尋ねください。
参 加 費 :オイルづくりは実費になります(3,000円〜)
       交流会は500円 ※お飲物はご持参ください。持ち寄り大歓迎。
定    員:10名まで 

イギリスでは、
タマラのインストラクターお二人の経営されている
The Aromatherapy Company の精油を
たくさん購入されたとのことです!
今回のイギリスでのイベント出展のこと、
そこでの出来事なども
交流会でたっぷりお話しいただきたいと思っています。

お申込み・お問合せ reikosato@docomo.ne.jp 佐藤まで
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その昔、そこに私もいたのです。photo by Reiko.S
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あれもこれも気になり優先順位がつけられなくなって
結果、立ち往生してしまう自分。
ここでよし、としてしまう自分。

「本当は、こんなんじゃない!」

自分の中で叫んでいたのが、一昨日、本当に声に出た。

自分を活かしたい。
「私」なんだから「私」をもっと高めたい。
そして、まっしぐらに走る自分に変わりたい。

数ヶ月前から、気になっていたワード「一所懸命」。
そう、私は「一所懸命」に 自分を 生きていきたい。

状況が限界に来た昨日、朝一番で読んだ「あかね雲」が、
新しいエネルギーワークについて、だった。

「絶対受けたい!」

そして、それが叶った。

エネルギーワークについては、
タマラさんの「あかね雲」を読んでください。
2012年5月8日、9日の記事です。

やりたいことが、あらためてはっきりした。
それはやりたかったことであり、やり続けたいことである。

私は 自分を 活かす。

自分のやりたいことも、そのための力も全部自分の中にある。

それを、活かしたくって、出し切りたくって、
そして、そのためにも、
びびる自分のためにいろんなことをはっきり見定めたくて
自分をサポートするエネルギーを
(それと意識せずとも)求めていた。
それが、「タマラ」だったんだ。
確信!

人間としては今もって凸凹。

でも、自分のために、自分を活かしたくて、
自分に合う必要なものを掴んできた。
見回せば、それぞれの個性を持った特性を持った特質をもった
何より、心を持った人がいる。


昨日という日は、本当に意味ある一日だった。

今日という日、また一所懸命に意味ある一日にする。
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妹夫婦が姪を連れて遊びに来ていた。
姪と一緒にいる時間は、私たち家族にとって
とても楽しく新鮮な時間だった。

朝、仕事をしていると後ろに気配を感じる。
振り向くと、パジャマ姿で親指を吸っている姪が立っている。
入ってはいけないというのをどこかで察知しているのか
廊下のところからこちらを見ている。

一才半、ようやく片言が出て来たところ。
こちらの言うことにも
わかるときは反応する、わからないときはじっと見ている。

いつも午前中は外で遊んでいるという姪は
とにかく外に行きたがる。
廊下で立って見ているのは、私なら抱っこしてドアの外に
連れて行ってくれると知っているからだ。

どれどれとベランダに連れて行く。
雨の中、鳥が鳴いている。
「鳥ないてるね」「・・・トリ」
「そう、鳥ないてるね」「・・・トリ」
しばらくすると、サンダルを履きたがる。
大きなサンダルを履き、ベランダの植木鉢に手を突っ込み
ひっくりかえし、底石を1つ、1つ、掴んで移動させる。
それを私にくれる。「くれるの? ありがとう」
くれるが、じーっと見るので、返すと、そそくさと受け取って
また床に転がし、また拾って私にくれる。
「くれるの? ありがとう」

そんなやりとりを何度も繰り返す。
そして、しばらくすると一人遊びを始めたので
そばで様子を見ていた。

やわらかい股関節。
四股を踏むかのように、おむつの大きなおしりでしゃがみこんで
つまんでは置き、置いてはつまみ・・・。

それをただただコツコツと繰り返している姪を見ているうちに
1つのことが、私の中ではっきりしてきた。

「無邪気さって、永遠だわ」

姪は、この時間を経て大きくなり、大人になり、
いつか年老いておばあちゃんになる。
でも、姪は姪なんだ。
いくつになっても、姪は姪。
もっちもちの赤ちゃん肌が、しわしわになる時が来ても、
姪は姪。

いろんな経験をして成長していくから、
いつまでも底石をつまんでいる姪ではない。
けれども、大きくなったら、別の個体になるのではないんだ。

「無邪気」を核に、生きて、経験を年輪のように重ねて行く。


笑い、泣き、寝て、食べて、
歩いて、しゃべって、帰っていった姪。

「今、なにしてるかな」「もう寝たかな」

静かになった我が家で、息子と私はそんな話ばかり。。。
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タマラアソシエーションのメールマガジン
「本当の自分を見つける方法」の火曜日を担当している私は、
先日、「トイレのサイン」(4月24日配信)というタイトルで、
体からのサインも直感のひとつ、という自分の経験を書いた。

トイレのサインを我慢したり、まあいいわと見逃すと、
大慌てな珍事を引き起こす。

今日もやってしまった。
(トイレ)と思ったが、まだ大丈夫とリビングへ。
(行っといたほうがいいんじゃない?)
というささやきが聞こえたにもかかわらず。

リビングに戻った私の目に、
息子の水やらおむすびやら試合後のワンセットが
テーブルの上にあるのが飛び込んできた。

「うそっ。お父さん行ける?」 

夫はパジャマ。・・・だめだ、私が行くしかない。
弁当と水筒を紙袋に突っ込んで、着の身着のまま、
出掛けて行った息子を追いかけた。

エレベーターに乗った私は、ものすごくまずい予感。
「・・・トイレ、行きたい。でも、もう戻れない、戻ったら間に合わない」

ああ、本当に「行っておけばよかった」、まさにあの時に!

数分後に、自分が息子を追いかけ
雨の中自転車を飛ばさなければならなくなるなんて、
予定になかった。
予定にはなかったが、予感はあったんだ・・・確実に。
(行っといたほうがいいんじゃない?) 
あれはまさしくそうだった。

改札で息子に一式渡し、
「とにかく頑張ってらっしゃい!じゃあね!!!!!」
と、私は駅のトイレに駆け込んだ。

何とか間に合い、
そこから、ここまでのことを省みた。

そういえば・・・
息子を玄関に送った時、
「気を付けて」
「十分に気を付けて」
「雨だから気を付けて」と、
いつになく「気を付けて」を繰り返したっけ。

そういえば・・・
いつもなら、ちゃらっと鍵をぽっけに入れる息子が、
わざわざリュックのチャックのところに入れると言うので、
入れてやったんだっけ。

そういえば・・・
いつも準備は万全の息子が、
シューズがどうたらこうたらといって、
靴を履きかえたりしてたなあ。

つまり、今日に限って、玄関で時間とっていたのと、「し直し」が多かった。ここで、なんか変だぞって気が付いたら、よかったんだな。

そういえば・・・
私自身、いつも何か忘れ物があるときは、
玄関で鍵が見つからくなったりしてた。


【玄関でスムーズに出られない時は、忘れ物がないかもう一度確かめる】
【そのためにも、「5分前行動」を、自分の新しい習慣にする】



「すべてに意味がある」、そうつくづく感じた。
今回のことで、気づかなければならないとき、
少し出来事がスローに感じられることも感覚として残った。

大事なのはそのあと。
直感を受けとって、その意味にもピン!とくる
思考回路を持たなければならない。

ここで絶対にしてはならないのは
「否定」と「思い込み」

日々訓練だと、つくづく思う。

自分で鍛える、まず自分。これ以外ない。
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