いつ何が起こるかわからない。
昨日はそんな一日だった。

息子が夜練習にいくというので、早めに夕食の支度を始めた。
一汁三菜、いつもは出来合いのおかずにもお助けいただくが
今夜はこの組み合せ、というのがイメージできて全品自分で作った。
(多くの主婦の皆さんにとっては普通なのだろうが^^;)

練習に行く息子とまだ外の明るいうちに夕食。
息子食べ終わり、支度して、行ってきますという頃になって・・・
強烈な痛みが背中からお腹に来た。

まずい・・・。

デトックスのサインと直感した。
時々、体内一斉洗浄か、というデトックスデーがある。
今回はキツそう・・・それも予感。
せっかく全部手作りしたのに・・・究極の貧乏性な発想が脳裏に浮かぶ。

予感は的中し、夜の予定は崩壊。
意識が遠のく痛みのなかで、「計画にはゆとりも大事」と痛感。
時間をおいてやってくる痛みに陣痛を思い出す。

痛みの中でハッとしたことがあった。
自分の感じている猛烈な痛みを
どこかで人ごとのように感じて、それで痛みを逃している。
いや、逃しもしているが、痛みに我を忘れてしまいそうなのか。

「これは、今、私の体の中で起きていること」
「この痛みは、私の痛み。今、起きている痛み」

気が遠くなるのを、「今」と「私」でつないでいる感じ。
でも、そのことに気づいて、意識してから
いつもは、なかなか出るにいたらず、痛みが長時間に渡って消耗戦になるのだが
今回は、痛みは猛烈だが、出そうとする体の動きがいつもよりずっと早い感じがした。

そんな格闘でふらふらになって横になっていると、一本の電話。

出ると夫から。私の母から父が入院とのメールが来たけど・・・という。
携帯を見ると、母から着信が来ていた。
掛けると、午後から体調が悪くなって、病院に行ったら即入院になったとのこと。
幸い早い段階で病院に行け、先生もいてくださったので、早速処置に入ったとのことだった。

近くならすぐに病院にいくところだが、そうもいかない。
様子を教えてね、といって電話を切った。
その後、無事に処置がすんだとのこと、2〜3日、合併症が起きなければ大丈夫とのことだった。

自分の体もようよう落ち着いて来たのと、
父も一山超えたとのことで、安堵で眠ってしまって今朝になる。
疲労感はあるが、気持ちは落ち着いている。

父の存在、自分の存在、
父への思い、家族への思い、自分への思い。

何かが起きれば、ぐるっと水底がかき回されたように
降り積もっている日常で水が濁る。
でも、かき回されたおかげで
その下にあった自分の思いや願いや本音が視える時でもある。

ああだから、こうだから、というのではないものが、視える。
痛いが、痛いだけでなく、辛いが、辛いだけではない。

ああ、お腹空きました〜(^^)

さあ、今日は学校でボランティア、その後、鎌倉へ出掛けることになっている。
今日もいい一日にしよう。
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真に伝えるために必要なもの。

私は、まず何よりも
自分自身に「実証・実感」が、必要だと思っている。

自らの実感を重ね、思いを深くしていくこと。
そのように生きている人と出会い、
その姿に触れ、
語り合うことによって得られる感動。

そうしたものの蓄積が、伝わる力になっていく。
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おはようございます。

昨日は、「危険を察知する直感」を身を持って経験しました。

というのも、午後打ち合わせがあり、駅まで自転車を走らせていたのですが
先の信号が赤に変わるのが見えました。

私は、少しスピードを緩めました
その時です。
左手脇の小道から、自転車の女性が思いっきり飛び出してきました。
一時停止の気配なく、ノンストップで飛び出してきたのです。

そして、勢い良く彼女は私の目の前を横切り、横を通り抜けて行きました。

「!!!!!」

その角まで2メートルくらい手前にいた私は、
スローモーションのように
彼女が飛び出してから、通り抜けていく様子を見ました。

(・・・あぶなかった)

もし、あのタイミングで信号に気づかなかったら
あのタイミングでスピードを緩めていなかったら
私の自転車は、ペダル1こぎ分は確実に進んでいた。

ペダル1こぎ、およそ2メートル。
そうなれば、確実に、その赤い服の女性運転の自転車の
横体当たりを、確実に受けていた。

朝起きた時から、私たちは直感を受け取りながら生活しています

「アクセスハートコミュニケーション」で、タマラさんが話されるこの言葉がにわかに甦る。

「直感」という能力がなかったら、いちいち全部考えて行動するのであれば
私は彼女の姿を認識して、危ないと考えて、それから今ブレーキをかけなければと考えて
ブレーキを握ると決めて、ブレーキを握り、力加減も考えて・・・

ああ、なんとマドロッコしい!

「直感」のおかげで、何事もなく駅に着き、打ち合わせに行き、帰って来れた。

何事もなく。

危険を察知する直感は、「何事もなく」に繋がっている。
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本気という状態は、事に対して、まじめに、真剣に取り組んでいること。

まじめにやろう、真剣にやろうと自分にいったり、人に言ったりするが
それはイコール「本気でやろう」と言っていることなんだな。

しかし、まだひっかかりがある

本気には、「ポジティブ」が必要不可欠だと感じる。
ポジティブな自分の時は、いろんなことが「はっきり」している。

やりたいこと。
見たいもの。
食べたいもの。
感じること。
考えること。などなど・・・

曖昧になっていたということは、「ネガティブ」の中にあったと思う。
ネガティブな状態だと、私の場合、
いろんなことが「わかりにくく」なる。

何をしたいのか、すべきなのか決められない。
悩みが長引くようになる。
表情が乏しくなる。
声が低くなる。出にくくなる。
見逃しやすくなる。
聞き逃してしまう。
キャッチし損なう。などなど・・・

あくまでもこれは私の実感。

「やっぱり、ポジティブで在るということは、大事」

しかし・・・まだ納得いくところに至らない

このことを考えていると、
車のキーを回すが、エンジンがかからない。
その感覚

なぜ、エンジンがかからないのか。
エンジンのかからないもどかしさ、イライラを感じていると
キーを回しながら、何を思考しているかが、視えてきた

「何をしに(目的)、どこに行く(目標)」

これだ。私はキーを回しながら、そこを考えていた。

目的は、自分の中で明確にある。
ただ、次なる、ここからの行き先を
決めかねていたんだ。

かつて無口だった父は、
子どもたちを乗せて行き先を言わずドライブに連れて行った。
どこにいくかわからない。
でも、「父も」わかっていないのではなく、
父の中にはどこにいくか決めてあった。
少なくとも候補はあっただろう。

子どもの私は、行き先がわからなくても、
普段コワい父が、無口にも連れて行ってくれるだけでワクワクしたし
いつも行った事のない遠くまで連れて行ってくれるので、
ただただ楽しかった。


なぜ、このことを思い出したのだろう。
これも、ひとつの直感

ここにも、今必要な「何かがある」。
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いや、待てよ。

もしも…ここからはあくまでも架空の話になるが
もしも、目と手が止まった名札を「持って行く」という選択をしていたら
携帯を忘れる、という…ある意味「選択」はなかったかもしれない

ここまでのことを検証しながら
最初はおぼろげだったことが、次第に実体となり、大きくなって
確かな課題になって目の前に現れた。

「本気」

本気というと、どこか鼻息荒い感じがするが
本気を辞書でひくと、「まじめな気持ち、真剣な気持ち」とある。
(デジタル大辞泉、小学館など)

今、自分
まじめにやってる?
真剣にやってる?



曖昧になってる自分。。。それこそが、答えだ。

曖昧を抱えっぱなしで走るのは、やめる。

まったく関係ないところで曖昧にしていても
体はひとつ、自分はひとり。
思考、行動のあらゆるところに出てくるんだと、思った。


自転車をこぎながら
どこが自分がまじめでない、
真剣にやっていないと思うところなのかを考えた。

そして、まじめにやったら、真剣にやったら、
自分にどんなことが起きるのか
、を想像した。


(続く…)
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なぜ、「持って行く」という選択ができなかったのか。

目も手も止まった。
体が反応していることには気づけた。
そこで、お名前とお顔の記憶が繋がって、繋がったことで安堵してしまった。
(日頃、自分の記憶力にからっきし自信がないゆえに・・・)

目と手が止まったことは、
記憶力を確かめるためでないことは、明らかだ。
記憶力チェックなら、全部の名札をトランプの神経衰弱のごとく
1つひとつ記憶と照合していけばいいのだから。

なぜ、この1つの名札「で」、目と手が止まったのか。

「なぜ」は、この時点ではわからなくてもいいとして、
まず、「この名札に、目と手が止まった」という事実。
その事実から「何かある」と考えられること、それが肝心だったのではないか。

何かある、そう考えられたら、
何かあるかもしれないから、持って行っておこう。
そんな「選択」も浮上しただろうから。

直感を受け取る → 「何かある」と考える。

「まさか、でも、だって」は、なし。
「ありえない」も、なし。
「何かある」、何があるか。を考えること。

「名札を持って行っていても、携帯忘れたんじゃ、
 家に戻ることには、変わりなかったわね」

自転車をこぎながら思った。

(続く…)
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自宅に向かって自転車をこぎながら、ひとつ気づいたことがあった。
来る時と帰る時の道が、無意識にいつも違う方面を走ること。
会場に向かう時も、自宅に戻る時も、願わくばスムーズに早くとは思っている。
単純に距離だけなら、行きも帰りも同じルートを走るはず。

しかし、信号のタイミングだったり、
なんとなく…なんとなく、道を変えている。
それができるのは、自転車のいいところ。車では「ひょい」とはいかない。
これも直感を働かせて道を選んでいるのかな、と思う。

気分重く出発したにも関わらず、なぜかすーいすいと走って
あっと言う間に我が家に到着。
行く時は、こいでもこいでも、、、な感じがあったので不思議な気がした。

家に着くと夫がパソコンを見ていた。
「携帯、鳴ってたよ。
 知らせようにも2台ともここにあるんじゃ、どうしようもない」
「やっぱり鳴ってたんだ。戻ってよかった」
ここで少し気が晴れる

鳴ってたのはメールの着信だった。
メールを読んで、驚いた。
申込追加の連絡メール。新たに参加される方のお名前が
なんと、名札の準備をしていて目と手が止まった、そのお名前だったのだ。
すぐにその方の名札も準備でき、携帯も持って、会場に向かった。
「あれは、やっぱり受け取ってたんだ」

自転車を走らせながら、また思う。
「あの時、気になった名札を『持っていこう』とする選択はできなかったのだろうか?」


(続く…)
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ワークショップの準備をしている時のことだった。
名札を準備していたのだが、福岡で開催した際の名札を外しながら、
今回の東京に参加される方々の名前に入れ替えていた。

ふと、ひとつ目と手が止まった名札があった。
「・・・えっと」
苗字から、その人のフルネームと顔の検索が脳内で始まる。
「あ、そうそう。Yさんだ」
近頃、物忘れが多い私は、思い出せたことに安堵して、その名札を外し、
今回の方の名前を差し込んだ。・・・どなたの名前を差し込んだかはまったく覚えていない。

全部の準備が終わって会場へ向かう。
嬉しいことに直前に参加者が増えたこともあり
広い会場に変更する手続きをしてから、会場ロビーに向かうと
すでにスタッフのみんなが揃っていた。

ふっと、嫌な予感がした。
(電話・・・)
私の身の回りに、持って来た荷物に、携帯電話の気配がない。まさか、、、。
バッグをみると、やっぱり持って来ていない。
幸い時間もあり、スタッフのみんなもいてくれる。
「取りに戻って大丈夫だよ」

スタッフのみんなの声もあり、取りに帰ることにしたが
自宅へ戻るのが、内心すごく面倒だった。
忘れ物をする自分にがっかりだったし、
自転車でまた往復することを思うと、自転車に乗る前からへとへとな気分だった。

しかし、携帯がワークショップの窓口電話になっている。
その責任感で取りに戻ると決めたが
そうでなければ、自分だけのことなら「別になくてもいい」になっただろう。

受付開始まで30分。自宅に向かって自転車をこぎ始めた。


(続く・・・)
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目標に向かって進むと決め、行動を起こす。
その時のパワーってすごいと、ある人から電話をもらって実感した。

週末に「アクセスハートコミュニケーション(初級コース)」という
直感力を磨くワークショップを東京で開催する。
その申込の電話だったのだが、遠方の方で、交通費をかけて参加される。

それは、この秋より開講する「アクセスハートコミュニケーション(中級コース)」を
受講するため、受講条件(初級コースを5回以上受講)をクリアするために
中級コース開講までに東京である2回の初級を受けるという申込だった。

なぜ中級コースに参加したいのかが、すでに明確になった時点で
自分の中での迷い(費用のこと、日程のこと)がすっきり晴れて
その声には、なんの迷いもなかった。

電話の向こうから聞こえてくる声を聞いているだけで
私自身、みるみる視界良好になるのを感じた。
背筋が伸び、自分の中にある元気がその声に引き出されるかのように
わくわくした気持ちになった。

その人は、私をそうさせるために電話をくれたのではなく
ただ、自分の思いを話しているだけなのだが
自分の道を本気で進む人の放つパワー、ストレート!な澄んだパワーは、
周囲の人をも、必要なだけ癒し、元気を引き出すのだと、はっきり実感した。

目的をもって進むこと。目標に向かって進むこと。決めたことをまっしぐらにやること。

まず、自分。ひとりひとりがそうあれば、いい。
そう実感した。

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友人が表参道のスパイラルビルの一階で期間限定で出店している。
(「こちょこちょ」)

毎年夏に出店していて
以前お店での販売を手伝った事もある。
出店するにもさまざま条件があり、
出店しても次のために実績を残す事が必要で
現実と向き合い、結果と向き合い、次の結果を出すために考える横顔、
実行する姿を目の当たりにしたのはその時だった。

「毎年」には、本当に重みがある。

でも、そういうのは、
一般的にはわからないし、わからなくてもよいし
お店としては、そこは見せるところではない。

彼女たちの出店は、
一緒にいった友人にとっても私にとっても
「夏の風物詩」になっている。

今年も夏が来たね、そういう気持ちになる。


*表参道スパイラルでの出店は3日まで。
 「こちょこちょ」にちょこちょこっと出掛けてみてください(^^)
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