c0050708_11254344.jpg
[PR]
# by bluebean | 2012-12-17 11:25
「それって、本当に好きなことなのかなあ?」

好きなことを本気でやっている人に
こう ドストレート に言われ
自分の中で「ゴリッ」と音がした。

私を納得させようとか、説得させようとか
解釈することなど微塵もなく

「本当に好きなことなのかなあ。私にはそう聞こえないんだよね」

長い付き合いの人ではない。
だからこそ、今の、そのまんまの私で、その人の目に見えたんだと思う。

おかげで、何かが ぱっかり 割れた気がした。

いろんなフィルターをかけて人は見る。それは仕方がないことでもある。
単純に見て知っている時間の長さもあるし、そこに自分の想いが絡み合ってのこともある。
それ故の、過去を踏まえた思いやりもある。
それ故の、延長線上の未来を思っての叱咤激励もある。

ただ
長く付き合っていれば、「わかる」というものでもなく
短い付き合いだから、「わからない」というものでもないのでは?

それは
長く付き合っているから、「わかってくれる」というものでもなく
短い付き合いだから、「わかってもらえない」というものでもない。

馴れや甘え、過信、固定観念、思い込み・・・そうしたものからどれだけ離れられるか。
その裏にある、本心からの逃げやごまかしに、気づけるか。

ドストレートな、つぶやきのようなその言葉を発してくれた友人に感謝している。
[PR]
# by bluebean | 2012-12-15 06:56 | つながり
中学生が自ら命を絶ったという
痛々しいニュースを見てから考えていた。

私は目に見える世界も
目に見えない世界もあると信じている。

そして、私たち人間には、それらすべての情報の中から
必要に応じて受け取ることのできる能力が備わっていて
その情報も一助としながら、人は感じ、考え、行動することで
今日まで命をつなげて来れたのだと思っている。

もし、私がその子のことを、見えないけれど見守っているとしたら
「誰が何と言おうと、愛しているぞー! 大好きだぞー! 生きろー、生きろー」
傍で叫びまくるだろう。

それが届かないということは・・・
届かないんじゃなくて、受け取ろうとしなくなったってことなんだろうな。

孤独や寂しさや怒りや悲しみが、心の中で膨らんで
耳を塞ぎ、目を閉じ、口を噤んでしまったのかな。
嫌だ、嫌だ、手で耳を覆い首を振る。温かな呼びかけは振り落とされてしまう。

振り落とされても、振り落とされても
叫び続けるだろうな、その耳元で。

ひとりじゃないよ。ひとりにしないよ。

目には見えないけれど、
あったかく見守るもののいることを想像してみない?

私はそう言いたい、って思った。



「生きていくために
Reiko.S のおすすめ

タマラ・加藤憲子さんのブログ「あかね雲」
大好きな絵本「いつもだれかが
[PR]
# by bluebean | 2012-12-13 15:03 | つながり
人の役に立ちたいという思い。
好きな人にはなおのこと。

役に立ちたいし、喜ばれたら、なお嬉しく「もっと」と思う。
そういう時は、動きが早い。
言われたことは、すぐ動く。言われなくても動いている。
頭も体も回りが早い。機転もきく、察しも早い。
タイミングがよく、イメージと行動にギャップがないので
ゴールまでが早く感じる。いわゆるトントン拍子。

この「人」が「他人」のことがほとんどだと思う。
自分ではない、別の人、家族も含まれる。
対象が外にあって、そこに向かう方が、目に見えてわかりやすい。
何をやったのかも、その反応も。

昨日の「アンビシャスコース」のメンタルトレーニングを終えて
私の課題は、今の自分は、対象が外になってしまっていること、だと痛感した。

私の頭に夜の灯台が浮かんだ。


c0050708_184491.jpg













灯台下暗し。

私も「人」、自分自身が一番身近な「人」だということ。
自分のためになることを、懸命にやっているか。
そのために大事なことは、自分というものを自覚していることだと学んだ。

本当にそうだなと思う。
なぜなら、自分というものを自覚した瞬間、
人は表情が輝き、存在がぱっと明るくなる。
それを見たから。それでこそ、本当に「灯台」だ。

自分の本心。自分を自覚していること。
この二日間で私が一番に教訓にすることは、
「まず自分」ということ。これに尽きる。
[PR]
昨日、今日とタマラアソシエーションの「アンビシャスコース」を受講している。
昨日はアドバンストのためのタマラ・ヒーリングの徹底トレーニングで
徹底的に行ったのは、「自己ヒーリング」でした。

今回、受講して本当によかったと思うのは、
自己ヒーリングによって「ポジティブな自分」の心地良さがよくわかったこと。
そして、自己ヒーリングこそが、
私にとって「ポジティブエナジーであるタマラエナジー」を実感した
「原点」だということを改めて思い出したこと。

アクティベーションを受けたものの、
ワークショップなどに参加しても人が感じるほどに自分が感じていないように思い
自己嫌悪の日々を過ごしてた私が
ある日の、そのたった一度の自己ヒーリングで、
「これっていい! すごい!」
そう理屈抜きに実感。

人がどう感じるかの前に
まず自分がどのように感じるかを見ていくうちに楽しくなり
違いや変化を追うのが楽しくなったことで、人の感じることも興味をもって聞けるようになり…

この「原点」を思い出したことで、
自分が今ここに在ることを、すべてひっくるめて、理屈抜きに認められた。
息を吸い、息を吐く、それすらもが幸せで嬉しく感謝の思いが広がり
その広がりと共に私の世界が広く明るくなるのを感じた。

これこそ、まさにポジティブになることではないか。


「まず自分」「自分にできる、ゆえに人にもできる」

かつてヒーリングワークショップで、何度も何度も聞いて来た言葉を思い出し、
改めてそのことを実感した。

ヒーリングは人を癒すこと
その「人」は、自他共に、である。
ここでも「まず自」であることを思い、
「癒す」は、「本来の調和を取り戻す」こと。
つまりは、
人間が生きる基本となる「それぞれのあるべき様に自立する」ことへの
サポートなのだと思うに至った。

私は、もうタマラエナジーと共に在る。
自己ヒーリングもできる。まずはもっと自分に活かそうと思う。
今を大事にする。
目的を見据え目標をクリアにすべく、変わり続ける自分自身を楽しみたい。



創始者、タマラ・加藤憲子さんのウエブサイト「あかね雲」
ブログ「あかね雲」
アクセスハートプロジェクト
NPO法人タマラアソシエーション
[PR]
仲間のお誘いで
鎌倉でのランチ会の輪に加わらせていただいた。
ランチしながらの交流会だ。
葛飾・青砥でも毎月開催しているが、最近は神奈川にもご縁が出来て
仲間に入れていただいている。

鎌倉は、上京した時に一番に住みたいと思った憧れの場所。
「あそこは金持ちの住むところだ。今はまだ無理だろう」
社長にそう言われて、そうなんだ、と思い
その後は、仕事が楽しくまた忙しくなって、鎌倉は遠い場所になっていた。

そんな街で、タマラを通して出会った方々と一緒に
自分のこと、これからのことを語り合う時間を持てた。
会話の中には、いろんなヒントがあって、どれだけ話しても尽きることがない。

「また次に会いましょう」

そういって手を振って別れられる仲間がいる。振り返ってまた手を振る。
胸のあたりがほっこりあったかい。その感覚が嬉しい。

久しぶりの鎌倉で
上京した当時の、毎日が楽しくて仕方なかったピチピチとした自分を思い出すとともに
個性豊かな家々の並ぶ街を歩きながら、この街と再びご縁ができたことが
嬉しい一日でした。
[PR]
# by bluebean | 2012-12-05 23:59 | つながり
12月になり機関誌の編集も山を登り始めている。
昨日と今日は、国内各地そしてネパールにいる仲間と
skypeで、掲載する原稿について語り合った。

原稿と向き合うことで、
自分の経験や体験や実感や思いや考え方の癖など
自分のことが浮き上がってくる。
人の話を聞くと、また自分の中から出てくるものがある。

豊かな感性。この言葉はとても深いと思っている。
感性は誰もが持ち合わせているが、ネガティブからポジティブまで、
極の極、端の端、底の底まで感じとろうとする覚悟と行動によって
豊かに「なっていく」ものではないか、と思う。

今、一緒につくりあげようと集まっているみんなは
それぞれに自分の感性の「楽でなさ」を経験を通してわかっている。
「程よいということを知らないの?」
自分の感情の傾斜にずり落ちそうになりながら、
時に足を滑らせ、転んで痛い思いをしたあげく後退し、
むなしく途方に暮れる時もある。

そんな話をしていて思う。一人ではないんだ、と。

未来永劫ぴったり一緒というわけにはいかない。
人と人とを分つものはいくつもある。
でも、今ここに語り合っているという事実、
そして、みんなへの愛おしさは、今ここにいる私の中に確かに存在し
私を温め、励まし、凛とさせ、明日へと私をつないでくれている。


c0050708_2030594.jpg








Reiko.S
Writter&Editor
AccessHeartProject
[PR]
# by bluebean | 2012-12-02 20:33 | つながり
12月最初の1日は
午前中は、ひとり編集作業、チェック。
午後は、スカイプで編集ミーティング。
その後、校正担当さんとミーティング。
同じお店で、丹野拓子さんのメイク講座帰りのメンバーとしばしおしゃべり(^^)。
帰りに書店で、長沼敬憲さんが編集された骨ストレッチの本を購入。
家事の合間に早速骨ストレッチ。その時は、やってみた、という感覚しかなかったが、
寝る前に気がついた、普段億劫になって後回しにすること(例えば食器洗い)を
さっさとやってしまっている体に!口元ニヤリ。
[PR]
北海道からの帰りの飛行機
夜景をずっと眺めていました。

c0050708_19571992.jpg
















いろんな感情を味わいました。
自分を見つめる、自分と向き合う
時間を持てたことに感謝しています。
[PR]
言葉で落とし込んで落としこんで
行き着いたところは、自分自身の中にあった「さみしさ」でした。

「さみしさ」を抱えていると知られたくない。
「さみしさ」を抱えていると認めたくない。

「さみしい」思いをするのはもっと嫌だ。
「さみしい」思いを回避するために嘘もつく、誤摩化しもする…自分も人も。

自分が思うように、人も思っていてほしいな。
その思いが、いつしか
自分が思うように人も同じに思っている、同じでなければ嫌だになり

思っていないと知ると、自分勝手に憤ったり傷ついたり、
頑になってシャッターを閉め、鍵をかける。
そして一番嫌な「さみしさ」を自ら招いてしまう。

「自分は慕っている。それでよい」
「自分は愛おしいと思っている。それでよい」
「自分はこれをやりたい。それでよい」

相手には相手の考えがあり、思いがあり、同じではない。
相手ができることと、自分ができることは、同じではない。
同じではない。「それでよい」のだ。

そこまで考えていったところで、頭に「絆」という文字が浮かんだ。

私は前々からこの文字の意味がわからなかった。
「どうして糸偏に半分なのか?」
でも、ここまで考えた最後、頭に浮かんだ「絆」の文字を見た時に
「半」ということに、のびのびした自由な感じがした。

つながったものがあるのではなくて、まずは半と半があるんだ。
何かによって、その半と半が結びついて、絆に「なる」。

私は、自分勝手に「絆がある=同じ」と前提したことによって
絆ということのネガティブな面・・・つなぎとめる、拘束される、束縛される
そこにフォーカスしていってしまった。

絆のなりたちは、半と半から。
その見方に立てば・・・互いに協力しあう、互いに助け合う、互いに愛し合う、互いに思い遣る
そこが見えて、自分自身に本当に自由で明るい柔軟な感覚を感じた。

前提は、半と半。

体が軽くなったように感じるが、新たな…びびりとずっしり感も感じ、
ちょっとすーすーするような薄着になったような感じもするが、
その風が気に入っている。



Reiko.Sからのお知らせ☆☆☆
直感を磨くワークショップ
「アクセスハートコミュニケーション」は
今週末東京で開催です!
====================
アクセスハートプロジェクト
[PR]
ある出来事をきっかけとして
自分の中にある1つの「弱さ」を認めました。

それは、札幌で「弱さ」について話し合った時に
グループになった人の言葉や自分の言葉をメモした中にもあったことでした。

自分の感情や思いを押さえたり、受け流してしまうところ。

札幌ではそのことを共有はしましたが、
私自身「思い当たってはいる」ということで終わっていて
そこから深く掘り下げようという行動には出ていませんでした。
ある意味それも、「受け流した」のだと思います。
なぜならば、そこに向き合うことはかなりしんどいと直感的に感じたから。

ある出来事があり、
私は「いつものように」そこで感じたことを習慣的に受け流しました。
あたかも「考えた結果」という巧みなトリックを使って、
わき起こったハードな感情を、思考によって封じ込んだのです。
その時は封じ込んだなんてこれっぽっちも思っていません。
感じ、考え、消化した、と思っていました。

しかし、その時は不意に訪れました。
翌朝、facebookで友人が青春時代の懐かしい曲
大好きだったレベッカのcheep hippiesをアップしていて
その曲を再生させながら、facebookの画面をスクロールしていました。

そして、ふとある友達の記事が目に留り
その記事を読んでいたら・・・
にわかに目の前がにじみ、胸が締め付けられ、涙が止まらなくなりました。
その文章は特別感傷的なことが書いてあったわけではありません。
逆にとてもポジティブな内容でした。
なのに、私はまるで親に叱られて泣く幼児のように泣いていました。

原因はおよそ察しがつきました。
とにかくこれが今の私だと、ひとしきり泣ききりました。
泣いている間も曲は流れていました。
そして、なぜかその曲のワンフレーズだけ口ずさんだんです。
曖昧な世の中に戸惑うエンジェル
口ずさんだことで、自分の声を自分で聞き取ったことで、
私をとりまく環境、私という世界=今の私自身の「曖昧さ」に
まさに戸惑っている自分がリアルになりました。

根本を見よう。いつまでも この曖昧さ は抱えていたくない。
今まで見ないで来たことが、あるのだろう。
今まで認めたくなかったこと、それを見ることにもなるだろう。
今、それを見よう。
今、どんなところに着地しようと、それを認めよう。
今が、その時。

実感ノートを開いて、きっかけとなった出来事から
順を追って自分のことを自分の言葉で書くことにしました。

…続く
[PR]
「続く」と書いているのに次がなかなかアップできず
「墓穴を掘ってるわよ」と言われて、返す言葉もありませんでしたが
なかなか自分の中で考えがまとまりませんでした。

ノートを見直してみると。。。
今回北海道の皆さんとグループトークしたときのテーマは
①弱さについて
②成功するために、幸せを感じるために「ここに直感が欲しい!」ということについて
③「あなたにはこういうことをやってほしい」グループのそれぞれに伝える

こうしたテーマでグループを変えながら1日トレーニングを続けました。
そして、最後。
座りたいと思ったイスに座り、そこに「居合わせた」だけとも思えるそのグループは、
「支えあうことのできる、助け合うことのできる人たち」とのことでした。

最初は、お互いに顔を見合わせてきょとんとしていましたが
話していくと、他の二人のことを私は好きだな〜と思いました。
考え方の癖も、思いを聞くことも苦ではなく、逆に重なる部分もあり
話せばはなすほどに、「ただこのグループになったんじゃないな」ということを思いました。

「テーマ」と思って取り組んでいる間は気づかなかったのですが
今回のテーマは、振り返ってみると…とても深くて
真摯に取り組むほどに豊かになれるテーマだったように感じました。

今になって、今日になって、なぜ自分が書けないでいたのかが
わかりました。
それはまた明日、書きたいと思います。

続く・・・
[PR]
週末は、札幌で「自分を活かすワークショップ(お金編)」
そして、直感を磨く「アクセスハートコミュニケーション」
土日かけて2つのワークを開催しました。

札幌はもう雪のたよりも聞かれたとのこと。
コートにニットなど温かな装いの方が多く、会場には暖房が入っていました。
ジャケットだけの私に「寒くない?」と心配してくださる札幌の皆さん。
しかし、ワークがスタートすると徐々に皆さんの熱気が上昇!
一番寒がっていた方も、途中からは上着を脱いでいらっしゃいました。

さて。
今回は、受講人数が偶数でしたので、
ペアになってのトレーニングの輪には人数合わせで加わることはなかったのですが
グループディスカッションでは、皆さんと一緒にトレーニングさせていただきました。

テーマを与えられるのは、有り難いことだと思いました。
初対面の人同士でも、それを「もと」にして話をすることができます。
ワークショップですから、参加しないと意味はなく、
テーマが与えられたら、「なんで?」とも思わず、まず!始める。
普段、人とシェアしないような話でも、一所懸命に話したり聞いたり・・・

何より、それが・・・楽しい、ということに気づく。
なぜ?を生み出す。
気づくと、もっと聞かせて、もっと話したい。になる。
もっと聞き取れるようになりたいし、もっと思いを表現したい、そう思う。
だからもっと直感で、「情報」を受け取りたい! になっていきます。

ワークに取り組んでいた、テーマに取り組んでいたはずが
「人」に取り組み始めている。
今目の前にいる人、そして自分自身に夢中になっている。

…続く
[PR]
結論として

深夜見ていたテレビのドキュメンタリー。


俳優Tさんが、NYで演技のレッスンを受けるのを
途中から見ていた。

自分を解放する。
俳優であること、演じることとは?

厳しいレッスンで突きつけられるものは、すべてはそれへの問いかけだった。

「あなたは、〇〇(役柄)なのよ」ではなく、「あなたが、〇〇なのよ」

「は」と「が」の違いで、大違いになる。でも、本当にここを「わかる」のが
きれいなだけではない、かっこいいだけではない、俳優という立場にいる人なんだと思う。

彼は、自分を解放し、その役であることにチャレンジすることに
くたくたになってスタジオの床に倒れこんだ。

「くたくただよ」といったTさんの言葉に
「まだ、その役になっていない証拠」というような言葉が、間髪入れず飛んできた。

あ、そういうことなんだ。
はっきり、すっきり、腑に落ちた。

中級クラスの二日間で、くたくたになった私は、
それすなわち、「初級リーディング」を達成していない。

そういうことなんだ。

出来なかったということよりも、きっと先に感じるものは「もやもや」感。
そして、それを自分や他者への
疑問や疑念に、凹みや否定につなげていく、それは感情的なものを事実と誤認するから。

事実は、「今回は、達成していない」
ただ、それだけのこと。

そして、その事実から、自分の次の行動をどうするかを、決めたらいい。自分らしく!


・・・そして、またテレビを見ていた時、目に飛び込んできた言葉。

「まだ、始まったばかり」


そう、まだ始まったばかり。一回では、身につかなかった。それが現実だっただけ。

このまま続けるか、ここでもうよしとするか。



私は身につけるまでやる。「やり続けるしかない」。

本当に身につけたいから!


ということで、今、もうこの瞬間から、納得するまで磨き続けます。
[PR]
ようやく疲労感は薄れてきたが
疲労感がとれればとれるほど
自分というものの「頑固さ」が鮮明になり、悔しさと行く手の果てしなさでいっぱいになる。

少しずつ、でも正直に、より深く自分と向き合おう。
そういう日々の中にある。

以前、タマラさんは「誘導瞑想」というワークを行っていた。
これは、瞑想状態の中でタマラさんの声と言葉によって、自らの内にある今必要な答えを受けとり、
それを「自らリーディングする」というものだった。

この時に、「自分をリーディングする」ということができなかった。
瞑想の中でたしかに鮮明にビジョンを視ている。
しかし、それが何を意味しているのか、何を教えているのか
その本当のところ=真実が、読み解けなかった。

読んでも、まったく真意にたどり着けておらず
タマラさんに自分の視たものを伝え、タマラさんのリーディングを聞いて
雲泥の差、天と地ほども違う内容に、茫然自失を何度も繰り返した。

タマラさんの言葉を聞いて
「わけもわからず」
大泣きしたり、激怒したりしたことも…あった。
激情が落ち着くと、ぽっかーん・・・。
「なんで怒ったの?」
「なんで泣いたの?」
放心状態になって、グループトークに加われなくなったこともあった。

あるときは、タマラさんの言葉に、「そんなことはありません!」と言ったことも、ある。
「意味が分からない・・・」と、聞き流したこともあったように思う。

全然当たってない!と、心の中でぷんぷんした、その数か月後
「タマラさんの言った通りでした」と、何度頭を下げたことか・・・。


「私のリーディングを待たずとも、誰もが自分の答えを自分で読むことはできます」


何度も言われた言葉。

あれはたしか・・・
「これから必要になること、大事になること」について誘導瞑想した時だったと思う。

私は、ビジョンで算数で使う「コンパス」を受けとった。
私は「描く、創造すること」と読んだが、タマラさんのリーディングでは「計画」だった。

そして、その「計画」ということがが、公私に渡って随所に大事になってきて、
タマラさんの言葉、口調までもが思い出され・・・すごいと思った。

自分で自分の答えをビジョンとして受け取っている。
ここまではできる。
この答えを、誠実に読み解けたら、、、いや、読み解ける。
なぜなら、自分の内にあって、自分で受け取ったのだから。自ら教えている答えなのだから!

「タマラさんのようにリーディングできるようになる」

今思えば、コンパスを受けとったあの日の誘導瞑想から、
「できるようになるまでやる」というスイッチが入ったように思う。

「アクセスハートコミュニケーション」のワークを重ねるようになって
だんだん、あのコンパスの時のタマラさんの感じ、感覚が掴めてきたように思っていた。
その手応えは確かにあった。

しかし、今回のワークの中でタマラさんが掛けた「トラップ」に、まんまと引っかかって
引っかかったと種明かしされてもなお、
またあの「ぽっかーん」になった自分に、頭が真っ白になった。

リーディング。
この道の果てしなさ、自分がまだまだ発展途上もいいところだということを思い知った。


・・・続く
[PR]