「花粉の季節、今年は大量らしいし・・・」と怖じ気付いていたら

「乾布摩擦がいいらしいけど、もっとてっとりばやくと

 毎朝10秒ほど冷水を頭から浴びるようにしたら

 20年来の花粉症が9割がたおさまりました」との新聞の小さな記事を発見。

お金がかかることは無理だし、薬もあまり飲みたくないし、

そんな私にはうってつけ! さっそく、その晩から冷水を浴びています。

といっても、太腿から下だけです・・・それも必死です!

息子は背中から浴びています・・・けろっとしています。


名刺を作り直そう! と思いました。

すると、知り合いのサイトの中に「名刺屋さん」を発見しました。


毎晩「明日は○時に起きよう!」と思うのですが、

起きられなくて、根性が足りん!とか自分に発破をかけていたのですが

昨日の新聞に「早朝時間を活用しよう」という記事が。

早起きにシフトしていくハウツーが書いてありました。


「こうしたいな〜」と思っていると

ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい情報が

すっと差し出されることがあります。

そのたびに「ふしぎだな〜」と思います。

まるで私の心を誰かが察しているようです。
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# by bluebean | 2005-02-14 08:47
学童関係の集いで、ある女性弁護士さんの話を聞きました。

弁護士として出会う子どもたちは

「問題を起こした」子どもであり、「被害にあった」子どもです。

でも、問題を起こした子どもたちの多くが

被害にあった経験を持つ子どもであり

加害者と被害者の間は「紙一重」だという話。

そしてそうした子どもたちは、その生育の中で

「寄りそう大人」の存在がない場合が多いという話を聞きました。



寄りそう大人、それは親であり、祖父母であり、親戚の大人であり

隣近所、地域の大人たち。

目をかけ、手をかけ、支えられて安心して自由にいられるしあわせ。

そこから子どもは「自分はここに存在していい」ということを知る。

自己を肯定する感覚を持つのだそうですが

支えられているしあわせを感じられずに育った子どもは

直接的にいえば、虐待を受けたり、気をかけられずに育った場合

「自分はここにいてはいけないんだ」と、自己を肯定することが出来ず

ゆえに人も信頼することが出来なくなるそうです・・・。


少年事件に対する刑罰が重くなっています。

ニュースで見聞きしている範囲では「それも仕方ない」と思っていましたが

実際に事件を起こした子どもたちに接している弁護士さんの話を聞き

そうした子どもたちの多くが

「寄りそう大人」の存在の欠如が根幹にある、という見方に触れ

「今日、どこどこで、○才の少年が、傷害事件を起こしました」

というニュースを、すぐに刑罰に処すというところに「直行」させていた

自分の考え方の浅さ、報道の受け売りでしかなかった自分の視点を

考え直す必要があると感じました。


●わるいものは目の前からいなくなればいいのか。

●てっとりばやく出来る対策であればいいのか。


レジュメに書いてあった弁護士さんからの投げかけです。

生まれてすぐから「暴走する」子はいないのです。

育ちの中で、何かがその方向へ子どもたちを向かわせてしまったのです。

親がダメなら親戚が、親戚もダメなら隣近所が、隣近所がダメなら地域社会が

子どもたちに寄りそえたら、子どもはそこを居場所に上を向いて歩きはじめます。


昔、上級生の男の子に執拗に虐められたことがありました。

私はそれが恐怖で、しゃべったこともない上級生の女の子のそばに座って

心でその女の子に「助けて」と願い続けました。

男の子は、何度も何度も仲間を連れて私のことを罵りにきます。

彼女は、彼らに「やめなさい」とは言いませんでした。

でも、私のそばを離れることもしませんでした。

彼女は私のシェルターでした。(心強い、とはいえなかったけど)

何度かシェルターに身を寄せましたが、いつしかイジメもおさまり

私も楽しいことをたくさん見つけ、友達と毎日を楽しく過ごせるようになりました。

シェルターになってくれた上級生とは、それっきりです。

彼女は私を「助けた」とは、思っていないのでしょう。まったく無関心でした。

私だけが彼女に感謝していました。(それも私の思いの中でだけです)

あのとき、そこに彼女がいてくれなかったら、私は生きた心地がしなかった。

彼女が私のそばにいてくれたから、蹴られることもぶたれることもなかった。


「寄りそう大人」

今度は私が、子どもたちのそばにいる番です。
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# by bluebean | 2005-02-13 23:19 | つながり
昨晩、NHK-BS1で

「スターリングラード攻防戦、60年目の証言」

という番組がやっていました。

ドイツ軍、ソ連軍、それぞれの軍隊にいて直接戦いを経験した人。

軍人の妻、戦場となったスターリングラードの市民。

いろいろな人の証言が、当時の映像と交互に映し出されました。


戦時中、この戦いの様子を伝えるドイツ国内の映像は

たばこをふかし、何か温かいものを飲みながら、余裕で戦っている

という兵士の様子でした。

でも、これは嘘だと、元ドイツ兵は証言します。

戦場は正気の沙汰ではなかったそうです。

極度の緊張、日に日に食料は乏しくなり

兵士は人肉を食べるところまで追い詰められます。

そういう中で戦い生き延びても、負けたドイツ軍の兵士は

次は捕虜。極寒の地シベリアでの捕虜生活です。

どこまでも過酷です。

奇跡の生還を果たした兵士は、母国ドイツに帰ったとき不安だったと言いました。

「あまりにも過酷な環境の中にいたので、

 自分が以前の自分ではなくなってしまったからです」


映像を通して、無数の死体をみました。

「みんなお母さんのお腹から生まれてきたんだよね」

私の脳裏には、累々と積まれた死体、一人ひとりが

温かな場所で、母親に抱かれすやすやと眠る光景が浮かびました。

命への祝福がそこにありました。希望がありました。愛がありました。

人を殺せとは、どの母親も教えなかったはずです。

人に殺されるとは、夢にも思わなかったはずです。

ただただ健康でしあわせに。願いはそれ一つだったのではないでしょうか。

でも、国は戦いに突入し、人の正気を失わせた。

そして今、私たちは「その後の世界」に生きている。

私たちの生活は、この経験を教訓としているだろうか。


極限の環境の中で、ドイツ人軍医がソ連軍のまいたビラの裏に

聖母子の姿を描いたそうです。

鉛筆で描かれたらしいその絵は、「願い」そのものでした。

そして、その絵にはこんな言葉が添えられていたそうです。

「光 生命 愛」


この絵の存在は、戦場のドイツ兵の間で

まるで乾いた草原に火を放ったように広がったそうです。


彼らは身をもって人の心の危うさを教えてくれたのだと思います。

聖母子の姿、そして3つの言葉は

彼らが命とひきかえに残してくれた

「後世に生きる私達へのメッセージ」

なのではないかと思いました。
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# by bluebean | 2005-02-12 11:29 | つながり
息子の絵画教室の場として、また教室のギャラリーとして

お世話になっていたカフェレストランが火事になって燃えてしまいました。

明日も、明後日も、1ヶ月後も、1年後も、あると思っているものが

たっくさんあります。

でも、本当は、「あるという前提」で話をしているだけなんですね。

思い出になってしまったあの場所に「さようなら、ありがとう」

そんな気持ちで書いています。
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# by bluebean | 2005-02-11 14:55
毎朝、子どもの一緒に教育テレビでやってる

絵本の番組(7時20分頃からです)を観ています。

今朝は、日本昔話の「わらしべ長者」でした。

私はこの話が大好きです。

1本のわらしべが、みかんになり、織物になり、馬になり、屋敷になる。

そして「わらしべ長者」と呼ばれるようになるというお話です。

・・・あらっ?

こうやって「得たもの」だけ書くと、私の「好き」とはズレるなあ。


主人公は「得ようとして得ている」のではないんです。

死ぬ覚悟でいたのを観音様に救われて

観音堂の外で最初に拾ったものを大切にしなさいと告げられる。

その最初に拾ったのが「わらしべ」。一本のわらです。

「うそ〜、わら? そんなはずないわよ〜」ってポイってしませんか?

そのわらにアブをくくって、彼はアブを友に歩き出す。


今度は、泣いた子がそのアブのついたわらを「ほしい!」という。

「子どもが笑うってことは、いいことだ」と

観音様が「最初に拾ったものを大事にしなさい」といった

その(アブ付き)わらを子どもにやってしまいます。

「だめじゃ〜ん! それ大事なんでしょ!」と、思う。

でも、観音様の「大事にしなさい」ってことは・・・

ずっと持っていなさい、ということではないんですよね!

彼は、彼の気持ちが「大事だ」と素直に思うことに、そのわらを使いました。


彼の得たものは、転がってきたのではありません。

何もしないで得たのではなくて

苦しんでいる人や動物を助ける、困っている人に力を貸す中で、

相手が持っていたものが自分のところに移動してきた、巡ってきたんです。

巡って来方もさまざまです。みかんや織物は「お礼」でした。

でも、馬は、相手が「見切った」ものでした。

見切られた馬を引き取って、介抱して、元気になったら

その馬を欲しいと人が現れて、彼は屋敷に住めるようになるのです。


私はこの主人公の「すっと出る心」が好きです。

困っている人、助けを求めている人に、ひどいことをしている人にも

今、自分が持っているものを「どうぞ」と与えられる、その心が好きなんです。

日の光がすーっと差し込むような、明るさと温かさを感じます。

見るたびに、そうなりたいな、そうなろう!

そういう気持ちになれるお話です。
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# by bluebean | 2005-02-10 09:21
「私も前は不平不満ばかりの人間でした。

でも、それではいけないと気付いて

誰にもどんなことにも感謝するようにしました。

すると仕事もよくなり、家庭も円くなり、夫婦も仲良くなりました。

やっぱり不平不満ではダメです。

感謝するようになって、私は幸せになりました」


昨晩取材のテープ起こしをしている時に聞こえてきた

装賀きもの学院の院長先生である 安田多賀子先生の言葉です。

宇宙とひとつづきの私。みんなとひとつづきの私。

「ありがとう」をたくさん発信したいなと思いました。

そして今日は「旧正月」。

「ありがとう」の毎日を、今日からはじめませんか!
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# by bluebean | 2005-02-09 09:51
共働き&核家族の我が家。

小学校1年生の息子は、放課後を学童保育で過ごしています。


今、学童保育は大きな変化のうねりの中にあります。

企業も経営が厳しい時代ですが、自治体もそれは同じで、

これまで自治体が設置し運営してきた「公設公営」の事業を

民間企業に委ねる動きが、あちこちでみられます。

学童保育も同じで、「公設民営」へとシフトしはじめています。

民営されれば、学童保育も世の中の競争原理の中に組み込まれます。

運営団体の「心」をちゃんと把握して、心の伴った運営がなされているかを

子どもを預ける父母は、個々に

また父母会という組織を通じて見つめていく必要があります。

(株主総会みたいですが)


でも、その父母会も運営がなかなか難しくなっています。

運営主体によっては、「父母会は作らないでください」というところもあります。

また、忙しい親たちは、「学童に預かってもらえるだけでいいんです」

という姿勢にならざるを得ないようです。

休日の行事や話し合いは、「そこまでしなくても」という空気が強くなっています。


かつて、学童保育が誕生したとき、それを生み出したのはどんな思いだったの?

どんな思いで学童保育が生まれ、父母会が組織されたの?



なんでも、あるときは「当たり前」です。

なくなったとき、「当たり前」だったことの「有り難さ」に気が付きます。

現実に、学童保育が廃止された地域では、親たちの「学童を再び!」の動きが

生まれています。なくなって(なくなりかけて)初めて「ある」ことの幸せに

気が付く、ということの証明です。


学童保育がなくなった地域もありますが、ゼロになってしまうと

そこから生み出すことは「容易ではない」と、その地域の先生が教えてくれました。

「まだみなさんの区は、学童保育という言葉が生きています。そのことを

 大事にしてください。そして学童保育を守ってください」


私にとっては学童ですが、みなさんにとっての「当たり前」はなんでしょう?

私は一年かけてようやく学童保育の有り難さが少しずつわかってきました。

わかってくると、先生のお便りも有り難いし、連絡帳も愛おしいし、

学童の建物にもありがとう!の気持ちがわいてきます。

息子と一緒に過ごしている子どもたちも可愛くなるし

道で会うとお互い「あ、知ってる」「あ、知ってる」と

ニコニコできるのが嬉しいです。


そう! ニコニコしていられるのが、嬉しいです。

このニコニコが「当たり前にあるもの」のおかげだということを

忘れないようにしたいです。
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# by bluebean | 2005-02-08 09:55 | つながり
偶然つけたTV。「心の時代」の再放送でした。

生命科学者の柳澤桂子さんが話をされていました。

お話の中で、一か所、聞いた瞬間にぱっとイメージになったところがありました。

「私たちは宇宙の一部分」というところです。


宇宙と私、ではなくて、私たちも宇宙。ひとつづき。

浮かんだイメージは、大陸の小さな小さな部分である「私」からひろがるものです。

ひとつづきということは、そういうことなのだと、思いました。

小さな一部分が「どうあるか」ということの大きさです。

宇宙で起きていること、遠く離れたところで起こっていること、

よいことも、わるいことも、私とひとつづきであるということ。


このことを知って、誰にでも、今すぐ地球や宇宙に

出来ることがあることに気が付きました。

私が思うこと、やること、ぜんぶが、

みんなにつながっているということへの「感謝と歓喜」です。

「ありがとう!」と思えば、ひとつづきに世界につながっていきます。


今日1日、いくつ「ありがとう!」を発信出来るでしょう! ワクワクします。
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# by bluebean | 2005-02-07 09:59 | つながり
最近、いただいた言葉の中で、心が温かくなった言葉。

「名残惜しい」

それから

「語り合う」という言葉です。


自分が自然体で、その場を楽しみ、その場に溶け込んでいるとき
そんな自分との別れを「名残惜しい」と言っていただけることほど
幸せなことはありません。
私が私を飾っていて、そんな私との別れを「名残惜しい」と言われたら
次回も飾らなくてはならなくなって、心が苦しくなります。

語り合うは、時間がないと出来ないです。
話し合うも、時間は必要ですが、そこに流れる空気感が違うような気がします。
語り合うは、振り子の大きな古時計。話し合うは、デジタル時計、タイマー?
どちらも必要だけど、取り違えてはいけないな、と思います。
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和の生活マガジン「Sakura」(発行/PR現代)という雑誌の仕事で

先日福島に行きました。(すごい寒波が来た日でした〜)

乗り換えの郡山駅で、すてきな場所を見つけました。

「おばあちゃんの民話茶屋」です。

駅舎2階のみどりの窓口横、「待合室」の中にあります。

寒い日だったので、暖かい待合室があってホッとしたのですが

ふくしま弁で福島の民話をきけたこと、それも「ライブ」で聞けて

一気に私はあったか〜くなりました!(無料、しかもお茶もいただけるんですよ!)

●自分よりみんなのことを考えるおじいさんが、最後の最後の米粒まですずめたちにくれてやりました。「もうな〜んにもねえんだぞ〜」と言ったのに、すずめたちは次の日も来ます。おじいさんは、悲しくて怒ってしまいました。その声に飛び立ったすずめのあとには、木の実がたくさん落ちていました…というお話。

●十二支のいわれのお話。十二支の順番が決まった翌日、猫が来たのは知っていたのですが、イタチも来たというお話でした。イタチは、親の看病をしていて前の日には来れなかったのです。神様は、そんな親孝行なイタチのために、毎月最初の日を「イタチの日」に(ついたち)してくれたんだと〜、というお話。

●猟師がキジを狙うと、キジは蛇を狙っていた、蛇はカエルを狙ってて、カエルはミミズを狙ってた・・・猟師は「オラも誰かに狙われてるかも〜」と、銃を放り投げて逃げ出した!というお話。


民話って、シンプルなのに、なんて深いんだろう。

ふくしま弁の、なんとも言えない温もり。

ライブの語り手と聞き手の「呼吸」にワクワク!

すごく幸せな「待ち時間」でした。
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みなさん、こんにちは。

ライターの青豆礼子です。

このたび、新しくブログを立ち上げました。三度目の正直、です。

これまでより、もっと素直に、もっとシンプルに

「伝えたい」から「伝える」へ

そして「つながりたい」から「つながる」へ

ここを原点にスタートします。

よろしくお願いします。
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