寄りそう大人

学童関係の集いで、ある女性弁護士さんの話を聞きました。

弁護士として出会う子どもたちは

「問題を起こした」子どもであり、「被害にあった」子どもです。

でも、問題を起こした子どもたちの多くが

被害にあった経験を持つ子どもであり

加害者と被害者の間は「紙一重」だという話。

そしてそうした子どもたちは、その生育の中で

「寄りそう大人」の存在がない場合が多いという話を聞きました。



寄りそう大人、それは親であり、祖父母であり、親戚の大人であり

隣近所、地域の大人たち。

目をかけ、手をかけ、支えられて安心して自由にいられるしあわせ。

そこから子どもは「自分はここに存在していい」ということを知る。

自己を肯定する感覚を持つのだそうですが

支えられているしあわせを感じられずに育った子どもは

直接的にいえば、虐待を受けたり、気をかけられずに育った場合

「自分はここにいてはいけないんだ」と、自己を肯定することが出来ず

ゆえに人も信頼することが出来なくなるそうです・・・。


少年事件に対する刑罰が重くなっています。

ニュースで見聞きしている範囲では「それも仕方ない」と思っていましたが

実際に事件を起こした子どもたちに接している弁護士さんの話を聞き

そうした子どもたちの多くが

「寄りそう大人」の存在の欠如が根幹にある、という見方に触れ

「今日、どこどこで、○才の少年が、傷害事件を起こしました」

というニュースを、すぐに刑罰に処すというところに「直行」させていた

自分の考え方の浅さ、報道の受け売りでしかなかった自分の視点を

考え直す必要があると感じました。


●わるいものは目の前からいなくなればいいのか。

●てっとりばやく出来る対策であればいいのか。


レジュメに書いてあった弁護士さんからの投げかけです。

生まれてすぐから「暴走する」子はいないのです。

育ちの中で、何かがその方向へ子どもたちを向かわせてしまったのです。

親がダメなら親戚が、親戚もダメなら隣近所が、隣近所がダメなら地域社会が

子どもたちに寄りそえたら、子どもはそこを居場所に上を向いて歩きはじめます。


昔、上級生の男の子に執拗に虐められたことがありました。

私はそれが恐怖で、しゃべったこともない上級生の女の子のそばに座って

心でその女の子に「助けて」と願い続けました。

男の子は、何度も何度も仲間を連れて私のことを罵りにきます。

彼女は、彼らに「やめなさい」とは言いませんでした。

でも、私のそばを離れることもしませんでした。

彼女は私のシェルターでした。(心強い、とはいえなかったけど)

何度かシェルターに身を寄せましたが、いつしかイジメもおさまり

私も楽しいことをたくさん見つけ、友達と毎日を楽しく過ごせるようになりました。

シェルターになってくれた上級生とは、それっきりです。

彼女は私を「助けた」とは、思っていないのでしょう。まったく無関心でした。

私だけが彼女に感謝していました。(それも私の思いの中でだけです)

あのとき、そこに彼女がいてくれなかったら、私は生きた心地がしなかった。

彼女が私のそばにいてくれたから、蹴られることもぶたれることもなかった。


「寄りそう大人」

今度は私が、子どもたちのそばにいる番です。
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by bluebean | 2005-02-13 23:19 | つながり