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週末

木曽御嶽山に登った。

正確にはロープーウエイで「上げていただいた」。

ロープーウエイ乗り場の近くに

花壇があって

その先に「鐘のなる丘」があった。

一緒に行った女の子たちがその丘を駈けて

その先の鐘をならしにいった。

息子もその後を走り出した。

その様子を見ていたら走りたくなって

「よし、あの鐘までノンストップで走ろう」

と決めた。

走り出した。

ロープーウエイのあたりで標高は…2000メートルくらいだろうか。

そんな高い所で、丘を駈け登っていうのは

ある人にとっては「よーやるわー」とあきれることかもしれないけど

走りだしたら愉快になってきた。

一歩一歩が鐘に向っている。

息子にも近づいてきている。

でも、楽ではない。

一歩足を出す毎に近づくけれど、その一歩一歩がだんだんきつくなる。

でも、止まりたくない。

ただ地面ばかりをみて走った。

足のあがりが悪くなっているのがよくわかる。

でも、休みたくない。

下からみたら「なにやってんの?」なんだろう。

下で見ている人には「歩いたっていいじゃん」だろう。

でも、おら、とまりたくねえ! ぜったいとまりたくねえ!

だんだん、足がスローになってくる。

でも、息子にも追い付いて

前を見たら、遠かった鐘がもう一息まで来ている。

「お母さん、ぼくを抜かすな」

と、あと少しのところで息子が両手で行く手を阻む。

「いやだ、抜かす! だってお母さん、上まで走るって決めたんだもん」

息子を追い抜く。

一瞬「また、ここでこの子がキレたら面倒だな…」という想いが過る。

でも、あと少しなんだ! あと少しなんだ!

抜かされた息子が言った。

「ぼくも〜〜〜〜!」

果たして鐘に到着!!!!!!!!

走りきったぞ! 2000メートルの山の一隅で

おらは、走りきったぞ!!!!!!!

思いきり鐘をならす。

やった、やった、やった、やった!!!!!!

うれしい。やった。うれしい。やった。

丘を下る。

下には、もう仲間の姿はなかった。

私も、この鐘に思いを残すことはなかった。

息子は

今度は私をおいて

振り返りもせずどんどん駈け降りて行った。


…木曽御嶽山に登られるなら
 ひゅってくらいす(開田村)での宿泊がおすすめです。
 山の空気につつまれ、あったかい家族の心遣いに
 ほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとできます。
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 犬たちがかわいいです!
 うとうとしても、にこにこしても、ないちゃってもいい場所です。
 そして、みんな元気になって帰って行きます。
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単純なんだけど、根気がいる。
そんなことをやったんだよね。
ああ、もうやめちゃおうかな。
ああ、ちょっとやすもうかな。
ああ、ああ、ああ。

でも、あともうちょっとやろう。
もう1つやろう。
もう1枚やろう。

よし、これは20分でやろう。
よし、こんどは20分を切ろう。

もう、苦しかったな…。
ほんと、なんでこんなことしてんの?
ああ、ああ、ああ。
頭の中は、いつやめたっていい、って
自分の背中を一押ししたら
自分の心の紐を緩めたら
「ちょこん」の一押し、「ぷちん」の一切りで
あっけなく「やめる」ことになる
ギリギリのところ。

でも、想像する。やめたら…その後の方が苦しい。
一瞬は楽なんだよ。
一瞬は。
でも、やるべきことがやれてない。
そのことは歴然と目の前にあるわけで
いくら横になっても
別の部屋にいっても
それはどーんとテーブルにのっかってるわけで
身じろぎもせずそこにあるわけで

逃げる方が苦しい。
っていうか、逃げられないの、頭の中に心の中にずっとあるから。
「おめえ、やってねーじゃん!」って
今度は「やめちゃえやめちゃえ」っていってたはずの
自分が「やってねーぞ、いいのか?いいのか?」と
責めるんだもの。

なんどもそういうこと繰り返してるからな。
わかるんだ、今だってやめたらどうなるか。

くそーとか思いながら
あと3つ、あと2つ、あと1つ
両足踏んばって、髪逆立てて、歯をくいしばって
やりぬいた。

気持ちいいね〜!

朝、なんとも愉快だった。

こういう愉快な気分はいいな。

しばらく味わってなかった。

逃げてたんだな、こういう気持ちがなかったってことは

逃げまくってたんだな。ずるしまくってたんだな。

こんなに愉快な気分、久しぶりだ。
鬼ごっこがつまらなくなったのは

小学校6年生のときだった。

その日のことをはっきりと覚えている。

何かが終わったんだな、って思った。

それとはちょっと違うんだけど

市町村合併で、田舎に帰ったら、楽しみにしていた「町報」がなくて

なんか「つまんねーの!」と思った。

この町に住んでる人の様子がわからなくなった。

そうそう大きな出来事があるわけじゃなくて

でも、写真を見ては

「あ、このばーちゃん、しっとる、まだ豆なんや(元気なんや)」

「あれ、このこ、●●先輩の子供じゃねーの? すっげー似てる!」

と、たまに帰ってくるものとしては、とても楽しかったのである。

「おいわい」に「おめでた」、「おくやみ」とかも必見。

数カ月ごとに、私自身も田舎の情報を「更新」していけたのだけど

市の広報紙じゃ…そういう「濃い」気持ちになれないのです。

知らん人ばっかりだもの…。行ったことのない地名とかじゃ…。

愛着がわかんっていうのかな…。

大きくなってつまんなくなった。

あの「鬼ごっこ」の日と同じ気持ちがしたのです。